2020年1月6日月曜日

「目的は何か」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「目的は何か」
ルカ  10:1 主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
「会議とは人の仕事をやめて行う仕事である」という定義があります。大江教会の役員会はどうかを振り返っています。私たちが行っている会議は「会議をおこなうための会議」ではないかと反省しています。「会議とは人の仕事をやめて行う仕事である」という定義をまず考えるべきです。この会議は、人の仕事をやめておこなう必要がある会議か。それにふさわしい人を集めているのか。目的に添った人を集めて、効率よく会議ができているか。これから役員会をしていく中で問うべきことです。理想の会議は「目的が明確である」「必要な人が集まる」「役割が明確化されている」「それぞれが貢献している」ものです。このような会議はみな満足し、収穫があります。会議はこうでなくてはいけません。つまり目的がきちんと共有できているかどうかです。
イエス様は七十二人を選び、宣教へと派遣されました。その時、「何ももっていくな」「途中でだれにも挨拶するな」と言われています。まず福音を宣べ伝えることが急務であるといわれるのです。一番の目的は「神の国が近づいた」ことを伝えることです。この目的をはっきりさせ、共有し、派遣されたのです。
昨年は被爆70年、戦後70年の節目の年を迎えました。私は70年前の戦争を何一つ経験していません。学校の教科書や、その後に自分で学んだにすぎません。本の中での戦争、海外にでかけていっても、日本で守られた所からながめた戦争しかしりません。サミットがそこで行われており、いま何を大切にしなければならないかを考えています。その中で一番心にのこったのは、ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世の言葉でした。彼は広島へこられたときにつぎのようなメッセージを世界へ送られたのです。
  過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。
  広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
  広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。
 今年行われた70年目の節目にあたる原爆祈念式での子ども宣言・平和への誓いでもよまれました。過去の過ちを見据えることだけが目的ではありません。そのことを悔い改めることだけが目的ではありません。しっかりとそれをふまえ、将来に対してどのように平和を創り出していくかが目的です。
イエス様は七十二人を任命されました。そして「御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」とあります。そのときに、目的、人、手段、貢献をはっきり伝えておられます。そして一番大切な「神の国は近づいた」という福音を伝えることを命じられました。これらのことが共有できていた弟子たちはおおきな収穫をもって帰ってきたのです。