2014年7月31日木曜日


『細川ガラシャについて』                                  小山 茂 

 十年ほど前に大阪にあるカトリック玉造教会で、二つの白い彫像を見ました。大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシャ夫人の石像です。キリシタン大名と細川忠興の妻である玉子、二人は日本における初期のキリスト者として生きた人でした。その玉造教会の西北には、かつて細川家の屋敷があったそうです。2月中旬に熊本で教区の集まりがあり、3時間程時間の余裕がありました。ホテルのガイドブックを見て、立田自然公園に細川ガラシャ夫人の墓があると知り行ってみました。熊本大学の裏手、細川家の菩提寺泰勝寺跡がその場所でした。「四つ御廟」といって、細川家初代藤孝夫妻と二代目忠興と細川ガラシャ夫人の墓が、4つの屋根のお堂の中にそれぞれありました。細川ガラシャ夫人の墓石には、「秀林院」という名が刻まれていました。どなたかが拓本をとろとして、墓石に直に墨を塗った跡がありました。外側には玉造の屋敷にあった手水鉢で、亡くなる前それを鏡にして身なりを整えたとの説明がありました。 

夫の忠興は千利休の弟子であったそうで茶の湯に造詣が深く、オシドリのいる溜池と杉木立に囲まれた苔むした庭「苔園」があり、侘び寂を感じさせる茶室「仰松軒」があった。鬱蒼とした竹林は京都の嵯峨野のようで、曇り空のせいか少し寂しい感じがしました。今は市に寄贈され熊本県指定重要文化財になり、立田自然公園として管理されています。 

 ご存じかも知れませんが、細川ガラシャは名を玉子といい、織田信長の仲立ちで細川忠興に嫁ぎ、父明智光秀の謀反により別居を余儀なくされました。後に豊臣秀吉の計らいにより、夫と同居を許された屋敷が大阪の玉造〔かつての大阪城内〕にありました。関ヶ原の戦いの直前、東軍に味方する大名を封じるため、石田光成は妻子を人質にとろうとしました。玉子は押しかけてきた大阪方の兵士を拒み、使用人すべてを逃がして、家屋に火を放ち家来に介錯を命じたそうです。その折の辞世の句を、「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」と詠みました。玉子38歳、それは波乱に満ちた生涯でした。悲劇のヒロインとして、幾つもの小説が書かれました。司馬遼太郎や三浦綾子さんも書かれています。細川ガラシャの墓は、大阪や京都にもあるそうですが、熊本にある墓は忠興の亡くなった後に作られたそうです。墓には「秀林院」という名前が記され、教えられなければ細川ガラシャの墓とは気がつきません。墓が熊本にないことを不憫に思い、忠興の隣に作ったものなのでしょう。 

                  ガラシャ夫人の手水鉢
 
ガラシャ夫人の墓                   墓を覆う廟
 
 

「イエスと目を合わせる」
          マタイ福音書4:18~25 小山 茂

《主イエスが呼ばれる》
 主イエスはいよいよ公生涯といわれる、自ら宣教へと乗り出される時がきました。その前に、「4人の漁師を弟子にする」という弟子の召命物語があります。召命とは召す命と書きますが、主イエスが宣教を共に担う弟子を招かれます。ガリラヤ湖半を歩いておられると、ペトロとアンデレの兄弟二人をご覧になります。彼らはこの湖を仕事場とする漁師で、岸から投網を打っています。主イエスは彼らの生活の中に入って来られ、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけられます。すると、二人は直ぐに網を捨てて従います。さらに、主イエスは先へ歩かれて、網を繕っている二人をご覧になって、呼びかけられます。どのように彼らに言われたのか、聖書に書かれていません。おそらく同じように、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」といわれたのでしょう。ヤコブとヨハネの兄弟二人も、直ぐに舟と父を残して、主イエスに従います
二組の兄弟4人が何のためらいもなく、すべてを捨てて主イエスに従う、そんなことがあるのでしょうか? 漁師の仕事を捨てることは収入を失うことであり、父を捨てることは家族とのつながりを切ることです。彼ら4人がこのような決断ができたのは、どうしてなのでしょうか? 最初の二人ペトロとアンデレは、直ぐに網を捨てて従いました。次の二人ヤコブとヨハネも、直ぐに舟と父親とを残して従いました。よくよく考えて決断したなら未だ分かるのですが、4人は即決して主イエスについて行きます。残念ながら、聖書はその理由を語りません。この「直ぐに従った」が、私にはどうしても合点がいかないのです。 
《直ぐに従う》
 主イエスの言葉「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」この言葉を第三者として他人事のように聴く場合、当事者として自分に呼びかけられたと聴く場合、お言葉の受け取り方が全く違ってきます。もし自分に向けて「あなたを私の弟子とするからついて来なさい」、と主イエスから直接呼びかけられたなら、どうするでしょうか? 最初の弟子たちにかけられた声でしょう、わたしには関係ありませんというのか。それとも自分に呼びかけられた声と聴くのか。それによって、御言葉は全く違って聴こえてきます。
 
自らを振り返ってみますと、10年前にある牧師が私に言われた言葉を思い起こします。「小山さん、牧師になりませんか?」初めて聴いたその言葉に、驚きを感じました。その時、何と言っていいか分からず、何も返事ができませんでした。内心ではとんでもない、私が牧師になれるはずはない、いやなれないと密かに呟いていました。ですから、4人の漁師がすぐに従ったことは、私には信じられない出来事に思えました。それから半年後に神学校の江藤校長とお会いして、翌年春神学校に入学させてもらい、今鹿児島で牧師として働きの場を与えられています。そんな私ですから、彼ら4人の直ぐに従える(いさぎよ)さに羨ましささえ感じています。
 
《人間をとる網イエス》
 主イエスのお言葉「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」それは主イエスからの呼びかけであり、新たな生き方を約束されるものです。呼びかけられた4人が、まるで抵抗できないほどの権威から、従順に応答せざるを得ない、そんな気持ちになっていたのかもしれません。4人の漁師たちは、イエスの召しに対して、何も言葉を返していません。自分の生き方を変えられるのに、主イエスのお言葉に魅入られたように、主イエスから見つめられ目を合わせ、彼らは直ぐにこのお方に従いました。神と等しいお方だから、そのお言葉に力があったのでしょう。 
今年の年間聖句ヨハネ1516で、主イエスは召命を別の言葉で語られます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」主イエスは漁師4人を、弟子に選ばれました。彼らの宣教の働きが実を結ぶため、必要なものは何でも与えると約束されています。彼らが使っていた網は、それまでの価値観であり、生き方であったかもしれません。彼らが捨てた網にとって代わる新しい網を、主イエスが用意されます。それは、主イエス御自身が人間をとる「網」となってくださるものです。彼ら4人がその網を用いて、人間をとる漁師にされます。だから、主イエスは彼らを、責任を持って任命されたのです。4人の弟子は安心して、宣教の働きに召され、できることを精一杯すればよいのです。もしできなければ、あなたが私を選ばれたのですから、あなたの責任ですといい訳ができます。そのような心意気をもてる、それが主に委ねることではないでしょうか。
 
《信じて従う》
 従うと訳された元のギリシア語は、「ついて行く、仲間になる」という意味もあります。主イエスについて行く、主イエスの仲間にされる、それが主に従うことなのです。その招きに従うなら、自分はどうなるのだろうか。そんな計算や目論見は考える必要はありません。主イエスが私たちを、丸ごと引き受けてくださるからです。弟子とされた4人はきっと大船に乗って、新たな生き方に乗り出していったのです。 
今朝の福音の後半では、主イエスが『異邦人のガリラヤ』を巡って、御国の福音を宣べ伝え、人々の病気や患いを癒されました。主イエスの活動が本格的に始動しました。周辺から大勢の人々が連れて来られ、主イエスに従いました。この従いましたという言葉も、弟子たちが従ったものと同じ言葉です。彼らは主イエスのお言葉と救援の業によって、このお方にふさわしく生きるよう招かれた者たちでした。 
 今日は阿久根教会の総会です。私たちも主イエスから、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられています。主イエスの眼差しを受けて、私たちもこのお方に目を合わせ、主イエスの招きを受け取りましょう。そして、人間をとる漁師にされていきたい。そのための備えは、主イエス御自身である「網」が与えられています。私たちにできることを精一杯させてもらいたい、そして、主の御後を歩んでまいりましょう。ハレルヤ!