2020年1月28日火曜日

「牧師は礼拝で癒される」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「牧師は礼拝で癒される」

 この時期になると涼しくなり、過ごしやすくなります。しかし、身体にとっては夏の疲れがどっと出るころかもしれません。与えられている全国の仕事にも疲れが出てくるころです。こんなときは、日曜日の朝まで疲れが残ってしまうことがあります。牧師として心がけていることは、日曜日の朝は元気一杯でいることなんですが。そろそろ年とったということでしょうか。

  さて、先週の日曜日の朝は起きるなり「疲れた」という気分でした。これではいけないと自分を奮い立たせるのですが、エンジンがかかりません。「だるさ」が全身をつつんでいるのです。申し訳ないことですが、そのまま礼拝の時間となりました。先週は3つの礼拝があり、自分でも大丈夫なのか心配でした。ところが、礼拝が始まり、前奏がながれだしたころ不思議な平安にみたされました。そのまま説教になり、自分の内からなんともいえない心地よさにつつまれたのです。第2の礼拝は呉教会でした。全身の力がぬけていくのがわかるくらい「のほほん」とした状態になり、第3の夕礼拝にいたっては、逆に力強いエネルギーをいただきました。

  礼拝によって癒される。牧師にとって貴重な経験でした。これまでも、礼拝の前には前日から「礼拝そのものが癒しとなりえますように。主イエスの御言葉によって心も身体も癒してください」と祈ってきました。礼拝によって癒されるということの現実を体験できて喜びにみたされました。

  礼拝は神さまが私たちにサービスしてくださることと言えます。私たちが神さまにサービスするのではない。そのことを教えてくださったのだと思います。