2020年1月27日月曜日

「本当に所有しているの」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「本当に所有しているの」
マタイ  13:12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
 「あなたは何を持っていますか」と聞かれた時、どのようにこたえるでしょうか。特別に何をと言う答え方ができるかなと思います。物はたくさん持っていますが、人や、思い、考えなども持っているものになるならば、いったい何を持っているのかと考えてしまいます。もしかすると持っていると思っているだけで、本当は持っていないかもしれません。私はこれを持っていますと言える人は幸せな人生を送っているのです。
「種まきのたとえ」を聞いた弟子たちは、「なぜたとえで語られるのですか」とイエス様に質問をしています。たとえ話は、み言葉の真理を分かりやすく説明するものです。弟子たちにとって、なおわかりにくい話だったのかもしれません。弟子たちは、与えられている神様のみ言葉を自覚し何を持っているかがわかっていなかったのでしょう。そうなるとイエス様のたとえ話も理解できない難しい話となります。
何回かの引越で「ため込む」「捨てる」という問題にぶちあたりました。引越の荷物より、捨てる荷物が多かったのです。どうしてこんなに物をため込んだのか?結局2tトラック2台分ありました。3人の子どもの小さいときからの洋服や物。思い出があり捨てられない物。2,3回つかって放置された運動品。趣味でためこんだ陶器。布団。結局どうしようもなくて、すべて処分してしまいました。「捨てる」ことの難しさを感じます。「もったいない」と思うと、捨てられないのです。かといって使用するわけでもなく。けれど捨てられずに悩んでしました。どうすれば捨てられるか?引越屋さんが来て荷造りが間に合わない瞬間に捨てる決心がつきました。イエス様は「自分を捨て、自分の十字架を背負って従ってきなさい」と教えてくださいました。捨てることの難しさを知って、あえて言われたのです。物が捨てられない私が、自分を捨てることができないのは当然のことです。ため込むことがいかに無駄を生み出すかを知らされました。内にため込んでしまうと、新しいものは何もはいってきません。自分という大きな荷物を空っぽにしてはじめて、神様を迎えるスペースが空くのです。捨てられないのは、たくさん持っているからです。
 イエス様は「持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」と言われました。何を持っているかを認識できないと、取り上げられたことも理解できません。私たちは神様のみ言葉を持っています。それを持っていることの認識がなければ、人に分け与えることもできないのです。「何を持っているかに注意しなさい」というイエス様のみ言葉もあります。自分は何を持っているのかを点検してみることも大切です。