2019年8月1日木曜日

「きっと伝わる」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「きっと伝わる」
 
 子どもっていうのは、本当に面白いものです。礼拝中に説教を聞いてないようでいて、実はちゃんと聞いているものです。しかし、その聞き方が問題です。
 
 先週の礼拝で、「悟りというのは、いつ死んでもいいという覚悟を決めることだ」と話しました。するとそれを聞いていた、三女・聖美は礼拝堂の扉からロビーにいる、めいちゃんに次のようにいったそうです。「めいちゃん。おとうちゃんはもう死んでもいいんだって」と。また続けて「おとうちゃん死ぬって」と。これにはまいってしまいました。が、まだその続きがありました。家に帰ってから、なにやらブロックで携帯電話を作っていました。出来上がると「もしもし神様ですか。おとうちゃんは死ぬそうです」と神様に電話をしていました。よほど、「死ぬ」という言葉が心に残ったのかもしれません。
 
 いつ死んでもいいという覚悟、これは十字架を背負って主イエスに従うことです。この十字架を背負って主イエスに従うということを、子どもたちにはどのように伝えればいいのでしょうか。信仰にあって死ぬということはどのように子どもたちに伝えられていくのでしょうか。きっと伝わると信じていますが、それはまさに生き方で伝えるしかないのでしょう。
 
 本日は長老感謝・祝福礼拝を持ちました。はじめての試みでした。アンケートに答えてくださった皆さんの言葉を通して、豊かな信仰を伝えておられることに感謝しています。家族5人で11時までかかって讃美歌集をつくりました。こうやって牧師の家族は信仰を伝えていくのだなあとフト思いました。感謝。