2019年8月22日木曜日

「大海の一滴」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「大海の一滴」
 
 全国を飛び回ったり、伝道セミナーを開いたりしていますとよく聞く言葉があります。それは「今の社会の中では何をやっても同じ」「やってもやっても実りがない」「教会は無駄なことばっかりしている」などなど。確かにそうだなと思いますし、無駄と思うことは止めようと思った時もありました。それでも、なんとかやってこれたのは、次のようなマザー・テレサのことばに出会ったからです。
 
 「わたしがしてきたことは大海の一滴に過ぎません。けれども、もしそのひとしずくがなかったら、今、海の水は、その分少ないわけです。みなさんご自身や家庭、そして通っている教会についても同じ事がいえます。とにかく一歩一歩進んでいくことです」。
 
 マザー・テレサの言葉の重みと、そのユーモアに畏敬の念を覚えました。大海の一滴だけれど、それがなければ海の水はその分少ない。これはなんという素晴らしい言葉だろうと思います。ちっぽけな私の存在も、神様の目からみたら同じではないでしょうか。大海の一滴だけれど、しかし大切な一滴としての私がここにいるのです。神様の目というのはそのような見方をなさるのです。心から感謝したいと思います。
 
 広島教会の宣教も、実は大海の一滴にすぎないかもしれません。たぶんそうでしょう。この世の中ではほんの小さな滴かもしれません。しかし、そのちいさな滴でも無くなってしまえばそのぶん、神様の働きは少なくなるのです。私たちは神様の働きのい最先端をになっているということを覚え、感謝したいと思います。
 
 一歩一歩進んでいきましょう。急激な変化はないかもしれませんが、確実に成長している教会の群れでありたいと願っています。