2018年7月31日火曜日

「頑張らないほうがよい」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「頑張らないほうがよい」
 
 六日市からの帰り道は、黙想の時でもあります。といっても「あーでもない、こーでもな」と考えているだけですが。それでも、その一時が私にとっては、貴重な時なのです。
 
 先週のことでした。車に乗り込むと、一匹の虫がフロントガラスにくっついていました。そこで、車を走らせればすぐに逃げるだろうと思い、動かしはじめたのです。ところが、一生懸命にへばりついて逃げません。スピードをあげるといいかなと、そうしても逃げません。それでは遅くしたらと、そうしても逃げないのです。その忍耐力に感心してしまいました。
 
 それからが黙想です。はたしてその忍耐とは何か。むかってくる強風に飛ばされないように必死に耐えている姿に感動をしながら見ていました。はたして、自分にはそれだけの忍耐力があるだろうか。はたして、神様の御言葉に耐える力があるだろうかと、いろいろと黙想していたのです。
 
 すると、ふと「そんなに頑張らなくても、力を抜けば楽になるのに。そしてまた自由に空を飛べるのに」と思ったのです。そうだなと思います。頑張ることは、いい時をあれば、頑張らないほうがいい時もあるのです。うなずいてフロントガラスをみれば、もう虫は飛んでいませんでした。
 
 神様の前だからこそ、力を抜いておまかせできるのです。感謝。