2019年12月19日木曜日

「神様の種」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「神様の種」
 
 「教会の子ども達は幸せだな」と思うことがあります。それは、いつでも神様から与えられている種を確認できるからです。というのも、礼拝の中に子ども達が一緒にいると、知らず知らずにみことばを聞いているのです。
 
 讃美歌のときに皆さんはよく、子供とともに座っておられます。子育てを終えられた方もおられれば、まだ結婚しておられない方もいます。しかし、全員が一応に子ども達と一緒に讃美をしてくださっているのです。なにげないひとときですが、私には信仰の確認・継承に見えるのです。讃美歌を歌うということは、「私はこのことを信じていますよ」と優しく語りかけておられることと同じです。これこそが、子どもたちに与えられた「神様の種」を確認させているのです。「あなたには神様の種がまかれていますよ。私にも同じ種がまかれているように」という信仰の確認になっているのです。信仰の継承がおこなわれているのです。
 
 ある時の礼拝で、三女・聖美をだっこして讃美歌を歌う機会が与えられました。そのときの讃美歌は「聖フランチェスコの平和の祈り」でした。膝の上で静かに聞いている娘に向かって、一言一言をかみしめながら歌っていますと、とても感動し涙がでてきました。平和の祈りの中に「私をあなたの平和の道具として用いてください。(中略)わたしに望ませてください。慰められるよりも、慰めることを。理解されるよりも、理解することを。愛されるよりも、愛することを・・・」という言葉があります。この祈りを共に生きていくものになりたいと願いました。
 
 キリストの種はたしかにまかれ、そして育てられていくのです。それは、私たちの交わりの中で、礼拝のなかで、そして信仰の中で。