2019年12月11日水曜日

「苦しみは避けられないのなら」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「苦しみは避けられないのなら」

ヨハネ黙示録2:10 「あなたは受けようとしている苦難を決して恐れてはならない」

テレビで派遣社員の孤独死をみた。何が彼を死に導いたのかなと思いながらテレビを眺めていました。人生の最大の苦しみは無気力にさせられることかなと思います。孤独になって、誰にも相談できず、家族にも話せず、苦しみの中で餓死という現実。どうやったらそこから抜け出せるのか。

黙示録では「苦しみを恐れてはならない」とあります。そこに続くのが「死に至るまで忠実であれ」とあります。苦しみは避けられない。ならば苦しみを恐れず、死に至るまで苦しみに対しても真っ向から向かい合わねばならないと思います。

「大川小学校に母子の石碑が建てられた」というニュースを東北支援のときにみました。写真ではよく見えなかったのですが、母親が子供を抱き締めている像でした。子どもたち、教職員を含む84名の方々が流された場所で「命」ということを考えました。慰霊碑には「百日たったいまも、会いたくて、会いたくて、会いたくて・・・」という、子どもを天に送られたお母さんの手紙がありました。教会、学校、幼稚園、保育園、施設。今回、ルーテル教会が母体となっている関連施設は、すべて「命」を預かるところだということを深く教えられました。いまはネットワークが必要です。出来る限りのネットワークをもちいて「命」に向き合う時だと思います4

避けられない十字架の苦しみの前に、死に至るまで忠実であったイエスがそこにおられます。神様にあって苦しみ受けとめたとき、新しい命の冠が与えられると聖書はのべています。苦しみは避けられない。ならば苦しみを受け取る信仰の力を求めたい。