2019年6月20日木曜日

「表面では遊んで」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「表面では遊んで」
 
 今年になってから、お昼は自炊をしています。冷蔵庫内にあるもので何ができるか、というテーマを持ちつつ楽しくやっています。大抵10分でつくってテレビを観ながらの食事となります。
 
 先週はNHKの昼のトーク番組に、志村けんというコメディアンがでていました。志村けんといえば、小学生時代にはよくテレビでお世話になったものでした。とくに土曜日かくるのを楽しみにしていたくらいです。どうしてあんなに面白いのだろうといつも思っていました。
 
 さて、その彼が下積み時代の苦労話や、何をやってもお客さんに受けなかった時の話しをしていました。そして振り返ったときの感想として「がんばっていたから受けなかった」と言ってました。もっと正確に言えば「一生懸命頑張っているところを、お客さんに見せていたから」と言ってました。あるとき自分が自分で楽しいことをしたときにドッと受けた。そのときわかったことは、人には「彼は遊んでいる。自分が楽しんでいる」と見られなきゃいけないということだったそうです。もちろん、表面では遊んでいるように見せても、裏で一生懸命でなければならないと言ってました。
 
 キリスト者の生き方もそうかもしれません。表面では楽しそう、いつも喜んでいるようにみられても、内心では神様と常に向かい合っている自分がいるのです。頑張っているところを見せるのもいいですが、信仰の喜び、楽しさを見ていただきながら、真剣に神様と向かい合っている自分でいたいなあと思います。