2019年5月9日木曜日

「風呂で読む井月」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「風呂で読む井月」
 
 「たまにはのんびり、お風呂で読書でもいかが?」という手紙とともに、一冊の本が送られてきました。その本は「風呂で読む井月」というものです。なんでも湯水に耐える合成樹脂使用なもので、お風呂で湯水につかっても大丈夫なのです。とすれば聖書もこれでつくればお風呂でも読めるということになります。まあお風呂で聖書を読む気にはなりませんが、露天風呂でならなんて考えてみたりします。
 
 さて、その「井月」とはいかなる本かといえば、漂白俳人井上井月のことです。私はその存在を今回はじめて知りました。そこで少し心に残った句を。
 
   春風や碁盤の上の置き手紙   井月
 
   来る風を涼しくうける簾かな  井月
 
   魚影のたまたま見えて水温む  井月
 
 ゆったりと回る田舎の時間の流れを感じます。のどかというかなんというか。しかし彼の人生は放浪のすえの野垂れ死にするまで過酷だったように思います。その本の解説に「名声、地位、金銭のとりことなるよりも、人生を一場の夢と観じたい。最悪の立場にあっても常に自己を失わず、飄々として生きたい。自然に生き、自然に死にたい井月」と書かれてありました。自然に飄々として生きる。それができるのは過酷なことを通り抜けてきた人だけではないでしょうか。私はそこにキリストの十字架を観じます。