2018年8月30日木曜日

「つらい係」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「つらい係」
 
 長女・華美が、2年生になってはじめての通知表を持って帰ってきました。それを見ながら、人間を評価するのは難しいなあといつも思います。これがすべてではないことを知っているのですが、これがすべての基準となることが恐ろしいと思うのです。
 
 さて、つらつらと眺めていますと、先生からの評価が書いてありました。そこには、「宿題係として、みんなの宿題の調査をよくできました」とありました。それを読んで、私はなるほどと思ったのです。なぜなら、華美が1回も忘れずに宿題をしていたのはこのためかとわかったのです。あれほど毎日宿題にこだわったのもそうかと思いました。調査する係が宿題を忘れるわけにはいかなかったのでしょう。
 
 しかし、つらい係だなあとも同情しました。そして、このような係がいるのかなあとも思いました。同じ友達のことを調査する。しかも、忘れた人を報告しなければならないなんて、つらかっただろうなと思ったのです。
 
 たとえつらい係であっても、正直にこなさなければならないことは、たくさんあります。それは信仰の世界にあっても同じことです。しかし、それはキリストの十字架の上に立つからこそできるものです。いろいろな経験をして大きくなっていくのでしょうが、十字架のゆるしの視点は大切にしておきたいものです。