2018年8月2日木曜日

「十字架の影」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「十字架の影」
 
 東京郊外にある、カトリック教会を訪問する機会があたえられました。カトリック教会の聖堂にはいつも感心させられます。というのも、聖なる雰囲気を感じるように、いろいろなものが設定されていることに気づくからです。
 
 さて、そのカトリック教会も「木」を主体に統一された聖堂でした。なるほどだなと感心していますと、聖卓のスポットのスイッチがあるのに気づきました。そのスポットはシンボルである十字架に向けられていました。ちょっとつけてみようかなと、スイッチをいれてみました。すると、そこに映し出されたものに、思わず声が出るくらい感動したのでした。なんと、スポットに映し出されたのは、十字架の影だったのです。つまり、両方からスポットがあたるので、正面には3本の十字架(2本は影)が映し出されていたのです。まるであのゴルゴタの丘の再現がそこにあると思いました。
 
 主イエスが十字架におかかりになったとき、両方にも同じように十字架が立っていました。しかし、一人の者は死ぬまで主イエスを罵り続けていたのです。その姿が影となって私の前に現れてたのです。もしかした自分の姿ではないのかと。 主イエスを信じること。信じ抜くこと。従うこと。はたしてそれはどんなことなのでしょうか。もしかすると、たえず神様を罵っている自分がいるのではないか。そんな私にも、両手を広げた主イエスが輝いておられました。アーメン。