2018年6月21日木曜日

「信仰のセンターライン」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「信仰のセンターライン」
 
 六日市集会の行き帰りはとても楽しいひとときです。落語を聞いたり、音楽を聞いたり、説教を考えたり、伝道計画を練ったりしています。ところが、帰り道で大変なこともあります。それは、濃霧がでたときです。それでも1年に5回位でしょうか。その中でも、1㍍先が見えない霧にであうこともあります。先々週がそうでした。これにあうと、頼りになるのはガードレールとセンターラインだけです。スピードを落として、ゆっくりすすむのです。普段の倍以上に疲れます。このような濃霧の中で教えられるのは、いつもなら遠くまで見えるハイビームよりも、足元がよくみえるライトの方がよいということです。
 
 私たちが生きている時代は、先の見えない時代だと言われます。こんな時は、足元をきちんと見る必要があります。禅の言葉では「脚下照顧」です。ところが、足元をみれば、きちんとセンターラインがあり、それが道を教えてくれるのです。 私たちの人生は道だとすれば、センターラインとは何にあたるのでしょうか。それぞれの人によって違うでしょう。私たちキリスト者にとっては、「キリストの御言葉」でしかありません。ひとつひとつの白いラインが「キリストの御言葉」であるならば、その道は確かに神様へとつながった平安の道であるといえます。 濃霧に悩まされながらも教会の十字架の灯が見えたとき、守られていたことを実感できます。すべてのラインは主の十字架へとつながっているのです。