2020年2月13日木曜日

「石を拾う」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「石を拾う」

 祝日に予定がないというのは珍しいことなので、家族で野外に遊びにいくことにしました。どうせ行くならと、岡山にあるドイツの森にでかけました。ドイツの町並み、公園などを再現したテーマパークです。広い芝生があり、思いっきり遊んできました。少々疲れたので休んでいますと、聖美が一生懸命に石を拾っているのに気がつきました。別に何をするでもなく、拾っては捨て、捨てては拾っているのです。思わず山頭火の句を思い出しました。

 秋 う  山頭火

 私の大好きな句の一つです。禅の教えでは「捨てる」こと、「捨て去ること」を一つの目的としているのでしょうか。捨てることの意味を説いた言葉が多いことに気がつきます。しかし、人間捨てるばかりではバランスを欠いてしまうのではないでしょうか。それで思わず意味のない小石を無意識に拾っているということかもしれません。

 それでは、子どもたちはなぜ小石を拾うのでしょうか。たぶん、小石を拾って捨てることが面白いのだと思います。何回も何回も繰り返し拾ってはまた捨てる。そこに人生の意味があるわけでなく、ただそれが楽しい。もっといえば喜びなのでしょう。

 主イエスは私たちに、捨てることも、拾うことも赦してくださっています。ペトロが主イエスを捨て去っても赦しておられます。しかし、捨てたり拾ったりする人間を決して、主イエスは捨てられない。むしろ拾うのみに徹しておられるのが、十字架の意味だといえます。主イエスは拾ってくださる。その信頼が私たちを平安に導いてくれるのです。感謝。