2018年3月6日火曜日

「どちらでもないよ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「どちらでもないよ」
 
 私たちは現実の社会に生きて行く中で、つまらないことに悩むことが多いものです。いや、どうでもよいことに悩むことが多いかもしれません。こんな話しをききました。
 
 一人の子供がいました。彼はあるとき、大人から聞かれたのです。「おまえは、お父さんがすきか、お母さんがすきか」。このような問いは残酷な問いと思います。しかし、私たちはよくこの質問をします。でも、こんなことは子供には聞いてはいけないことなのです。その子供は困ってしまいました。
 
 ところが、彼はそこに一枚の煎餅を持っていたのです。彼はおもむろにその煎餅を二つに割ります。そしてその大人に問います。「おじさん、この煎餅のうち、どちらが好きですか」と。するとそのおじさんは答えます。「同じ煎餅じゃないか。どちらが好きだなんて、馬鹿なことを聞いてはいけないよ」。するとその子供はおじさんに言いました。「それと同じですよ。同じ親なんだもの、どちらが好きかだなんてそんな質問には答えられません」と。
 
 これはよくできた話しだと思います。まったくその通りです。私たちにとって一枚の煎餅を割った二枚のうちどちらが好きかなどどうでもよいことです。しかし、このどうでもよいことに悩んでいるのです。答えがでないことで悩むより、神様によって与えられている答えを受け入れたいと思います。