2019年7月24日水曜日

「聞くのは大変」

阿久根ルター君の朝のみ言葉


「聞くのは大変」

ルカ 9:35 「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。

格言集を開くと次のような言葉に出会いました。「『listen(耳を傾ける)』という単語は、『silent(無言)』と同じ文字で出来ている」。良くできているなと感心しました。そのことを自慢げに娘に教えてみました。すると素直にきいていました。確かに耳を傾けて聞くときには無言でなければなりません。それができないので自分が話してしまいます。また無言の中には答えはありません。みな答えようとして聞いていると無言になれずに聞けなくなるのでしょう。聞くということの本質をもういちど考えてみたいものです。

イエス様の変容の出来事は、マタイ、マルコの福音書にもあります。3つの記事のなかでルカの特徴は、イエス様が祈っておられたときに変容の出来事が起こったことです。祈りという神様との会話がありました。また、モーセとエリヤとの会話もあります。その中でも興味深いところは、神様の言葉「これに聞け」という声(弟子たちとの会話)が聞こえたとき、そこにはイエス様だけがおられたと記しているところです。つまり、これに聞けとはイエス様に聞けということでした。

この暑さの中、イライラしているときは「笑い」が一番。健康にも「笑い」が一番。さっそく、以前から買っておいた「爆笑漫才大ヒットパレードCD」を聴いてみることにしました。さすがに、「ダイマル・ラケット」「いとし・こいし」「かしまし娘」「千里・万里」「レッツゴー三匹」「唄子・啓助」といった大御所だけに大笑いしてしまいました。ところが、長女はあまり面白くなさそうです。普段は吉本新喜劇をみて大爆笑しているのに、いっこうに笑いません。どうやら、動きがないのが面白くない原因のようでした。生まれてこの方、テレビで育った娘たちにはラジオで聴く漫才は興味がないらしいし、どこが面白さのポイントかがわからいようでした。この世の中、だんだん言葉だけでは伝わっていきにくくなっているのかもしれません。キリスト教は聞く宗教だといわれます。神様のみ言葉を聞く宗教です。イエス様のみ言葉を聞いて理解することは大変な事ですし、じつは私たちの中の準備が一番大切と思われます。

イエス様が山上で変容された時「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という神様の声が聞こえてきました。この出来事は変容の出来事ですから、これを見なさいといわれるのが普通です。しかし、神様は見るのではなく聞きなさいと言われたのです。つまりイエス様のみ言葉を聞きなさいということです。私たちは今日もイエス様のみ言葉を聞いて過ごしていきましょう。