2019年4月25日木曜日

「遊びに複雑な感じ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「遊びに複雑な感じ」
 
 公園で遊んでいる子供をめっきりみなくなりました。それもそのはず、最近では「子どもたちだけで公園へ行ってはいけません」という指導がなされているからです。公園で自由に遊ぶことができないとは、なんと悲しい時代になったのでしょうか。「最近、学校のまわりには異常者がいます」とプリントがきました。親でさえ普段の日に、おちおち学校の校庭をのぞくことなんてできないのです。
 
 子どもたちの遊びも変わってきました。ほとんどの子供がテレビの前に座っているといいます。ということで、先生が昔の遊びを教えることになったのだそうでう。「じんとり」「ゴムとび」「たかいおに」「うまとび」「だるまさん」などなど。その中に「こおりおに」といものがありました。鬼にタッチされたらこおりのように固まっていなければならないというものです。しかし、鬼でない子にタッチしてもらったらまた自由になるという遊びです。私もよくやりました。
 
 さて、愛美のクラスでもこの「こおりおに」をやってみたのだそうです。はじめは楽しくやっていたのですが、突然ある男の子が泣き出したそうです。先生もわけがわからず、なぜ泣いているのと聞いたのだそうです。すると、その子は「だれも助けにきてくれない」というのです。鬼にタッチされてこおりになっているのだけれど、だれも自分に気がついてくれないというのです。
 
 なんだか、複雑な気持ちです。牧師館から小学校をながめながら、そこには深いものがあるかもしれないと思いました。もしかすると、自分のことしか考えられない子供ばっかりかもしれないし、遊びに楽しさがわかってないのかもしれない。
 
 神様が日常の生活の中で、何を教えてくださるのかを知りたいものです。