2018年2月27日火曜日

「なぜ騙されるの」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「なぜ騙されるの」
 
 ある本に「大鼻の蔵人得業」という話が紹介されてありました。『宇治拾遺物語』からのものです。
 
 奈良に一人の僧がおりました。彼は鼻が大きかったので「大鼻の蔵人得業」と呼ばれていました。この僧は若いころ、ちょっとしたいたずらをしたのです。それは猿沢の池に、「某月某日、この池より竜登らんずるなり」と書いた立て札を立てました。もちろんウソです。案の定、人々はそれに引っ掛かりました。
 
 「おい竜が登るそうだね」「そうらしい。ぜひともみたいものだ」という噂を聞くたびに、自分がやったいたずらに人々がだまされたと、僧はよろこんでいました。ところが、噂は噂を呼び、ますます騒ぎはひどくなってきたのです。そして立て札に記された日になると大和、河内、和泉、摂津の国の人達までやってきて、猿沢の池は道も通れぬほど人で一杯になりました。
 
 はじめは僧も平気な顔をしていましたが、だんだんそわそわしてきました。愚かな群衆が引っ掛かったと思っていたのですが、(ひょっとしたら、何かあるかもしれない)と思い始めたのです。そしてそのうちに(これは、何かあるに違いない)となり、慌てて猿沢の池に向かったのです。池の回りは群衆でごったがえしています。そこで僧は寺の大門の上に登って、池をじっと見つめていました。もちろん、竜がいつ登るかを期待して。しかし、竜は時間になっても登りません。そのうちに日が暮れてしまいました。という話です。
 
 自分が神様だという人々は、これにひっかかるのですね。自分を神様といわないまでも、人間は自分を誤解していることが多いものですが。