2017年5月9日火曜日

手巻きの置時計

クレヨン牧師のミニエッセイ
「手巻きの置き時計」
 
 香港の友人が、中国製の置き時計をプレゼントしてくれました。とってもシンプルで気に入ってます。ところが一つだけ困ったことがあります。それはよく止まってしまう時計だからです。なぜならその時計は二日おきにネジをまく仕組みの時計だったのです。電池入りの時計になれている私にとっては驚きでした。
 
 さて、初めは「なんて不便な時計だろう」と思っていました。しかし、よく考えると「ただネジをまくだけなのに、それさえも面倒と思うようになったのか」と反省させられました。
 
 世の中はとての便利になりました。時計も電池を入れるだけで一年も二年も動くのです。しかも一分とかわらない正確さで動いています。そのような生活はとても快適です。しかし、電池や電気がなくなれば使用できない生活となるのです。
 
 手巻きの時計を眺めながら、毎日毎日、愛情を注いでネジをまくことの意義を教えられたようです。「今日も一日よろしく」と時計に声をかけてみると、一日の大切さを教えられるのです。
 
 聖書を読むことも、毎日心にネジをまくことと同じです。やっぱり、聖書というネジをまいていなければ、信仰も停止してしまうのでしょうね。