2017年2月23日木曜日

流れている水

クレヨン牧師のミニエッセイ
「流れている水」
 
 六日市から、たくさんのハナミズキをいただきました。今日の礼拝堂の花がそうです。ところがこの花は一度枯れかかったのでした。牧師館と教会にわけて活けておきましたが、教会のものは前週のカラーと一緒にしておいたのです。そのカラーの水を変えるのを忘れていあたため、水が腐っていたのかもしれません。一日で元気がなくなってしまったのです。ところが、牧師館のハナミズキは元気そのものでした。
 
 水の大切さを思います。しかも生きた水の大切さです。主イエスはサマリアの女に「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われました。
 
 主イエスが私たちに与えてくださる水は、いつも流れている水です。流れている水は腐らないのです。もし主イエスが与えてくださる水が腐れているのなら、私たちが「そのままに」していたり、「ため込んで」いたり、「忘れたり」しているためだと言えます。それでは主イエスが与えてくださる水とな何か。それは命のみ言葉(聖書)でしょう。