2020年3月23日月曜日

「涙の手紙」

阿久根ルター君の朝のみ言葉
「涙の手紙」
2コリ 2:4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした
昨夜ラジオで「ラブレターの書き方」について話していました。今日がバレンタインデーということもあっての企画かもしれません。手紙というものをあまり書かなくなり、ほとんどがメールになってしまいました。手紙もメールも同じような物と思っていましたが、どうも違うようです。文書による連絡か、行間の思いを伝えるかということのようです。しかし、この行間の思いを伝えることは大変難しいものです。だから手紙を書くということが少なくなってきたのかもしれません。ラジオでは、率直に書かないようにして、しかし思いがわかるような文章を目指すとありました。手紙のなかに秘められた力は、人の思いの深さからくるのでしょう。
パウロは、コリントの信徒にむけて5通の手紙を送ったと思われます。その中に「涙の手紙」というものがあります。パウロはコリントに長期滞在の計画を再度たてていました。ところが、なにかの不祥事があってそれを中断し、エフェソに戻っていきました。不祥事が何であったかはわかりません。パウロは再度訪問をするかわりに「涙の手紙」を送ったのだと思われます。
「ポケットピカチュウ」と「てくてくエンジェル」という「万歩計(歩行計)」がありました。この万歩計がいままでのものと違うところは、全体がゲームになっていることです。キャラクターを育てたり、また歩けば歩くほど画面上のキャラクターと仲良しになれるというものです。反対に歩くことを少しでも減らしてしまうと、キャラクターは「努力しないあなたとは、おつきあいできません」なんていう置き手紙を置いて去っていってしまうのです。というわけで、てくてく歩いていました。毎日だいたい3千歩でしょうか。この万歩計をつけだしてやっと5千歩になりました。人間の健康には歩くということが一番いいと聞きます。そいうえば、主イエスも歩いておられます。その距離といえば想像を超えるくらい歩き回っておられるのです。しかし、ただ歩いておられたわけではありませんでした。御言葉をのべつつ歩いておられたのです。それが福音の置手紙となっています。
パウロはたくさんの手紙を書いています。パウロの手紙は現代の私たちに福音を証する手紙となっています。パウロを通して語られたキリストの福音がそこにあります。私たちの教会も、パウロの手紙の行間から、神様の福音を聞いてきました。今日からしばらく、パウロの手紙をとおして神様の福音聞いてまいりましょう。