2020年3月19日木曜日

「御言葉を音符に」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「御言葉を音符に」

 「The CD Club」という会に入っています。毎月の推薦CDがあり、好きなものを注文するシステムになっています。今回の推薦は「バッハ」でした。テーマは「癒し」です。「癒しが欲しい現代を潤す・バッハ」というわけです。

  そういえば、私の本棚にも最近このてのCDがたくさん並んでいます。「憩いの~」 「寛ぎの~」「癒しの~」というものです。具体的に「目覚めの~」「昼下がりの~」「ティータイムの~」「語らいの~」と分けたものがあります。きっと、こころの癒しを求めている人がいて、たくさん売れるのでしょう。やっぱり、クラシック、その中でもバロック、その中でもバッハということになるのでしょうね。

  確かにバッハの曲は聞くものの心を癒すといえます。私などは「ブランデンブルグ協奏曲」「無伴奏チェロ組曲」を聞くとなごやかになってきます。バッハという大作曲家のなかにある信仰が、人の心を癒すのではないでしょうか。

  ある方に教えていただいたことがあります。「バッハの曲は聖書の御言葉を音符になおしただけのものである」。つまりバッハの曲は聖書の御言葉を読むのと同じだというのです。そうだとすると、人の心を癒すのは当たり前のことなのですね。

  現代に生きる人々は「癒し」を求めていると言われますが、いつの時代でも人は癒しを求めています。そのことに気がつかないのです。本当は癒されたい自分がいるのに、我を張ったりしてその思いに達しないのです。主イエスに「癒されたい」とお願いした人々は、聖書ではみな癒されて新しい人生「神様と共に歩む人生」を与えられました。主イエスによって癒されることを信じた人々は、新しい人生において輝いて生きることができるのです。