2016年12月6日火曜日

自分の語ることを

クレヨン牧師のミニエッセイ
「自分の語ることを自分で聞く」
 
 牧師として説教壇に立つたびに、心の中にある子供の声が聞こえてきます。それはいつもこう語りかけてくるのです。「先生は自分の話を自分で聞いて面白いと思う?」。この言葉を忘れることはできません。まだ神学生だった時、教会学校の生徒に言われた言葉なのです。しかし、感謝して忘れることができない言葉なのです。
 
 自分が語ることを会衆になって聞いてみるとき、福音として聞けるかどうか。自分の話は自分にとって福音かと問うてみるのです。これは私の説教の原点です。自分で聞いていやになる話は、人が聞いたらもっといやになるはずです。それは説教だけの問題ではありません。親子の間、友人との間でもおこることです。娘にぐちぐちと怒っている自分が、もし反対だったらと思うとゾッとします。たぶん「もうわかったからやめて」というかもしれません。
 
 「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と主イエスは言われます。隣人を自分と見ることができるか。それは大きな問いでもあります。