2016年11月1日火曜日

クレヨン牧師のミニエッセイ

「神様はどこに」
 
 小さいとき、わが家の娘建ちは外に遊びにいって帰ってくると、まずお父さんを探します。ここまでは愛情溢れる家族にみえますが、その探し方がなんともいえないのです。なぜなら、娘たちはドアを開けるなり、「お父さん、お父さん」と叫びながら、一目さんに寝室に飛び込んでいくのです。それが何回見ていても同じなのです。これは何をかいわんやです。
 
 いつもどこにお父さんがいるかを知っている娘たちは幸せかもしれません。わが家の場合は恥ずかしい限りですが・・・。私たちも、神様はいったいどこにおられるのかと探すことがあります。見つからないといっては嘆いてみたり、怒ってみたりしています。
 
 神様がどこにおられるか知るには、一目さんに御言葉に行く必要があります。ルターは、「キリストについてまったく考えずに二日を過ごすとき、わたしの心はなえ、いきいきと働かなくなります」と言いました。神様は生きた御言葉の中におられます。