2017年7月7日金曜日

桜島が元気

さすがに桜島は元気です。
噴煙の高さが違いますね。
熊本から来るとびっくりします。

2017年7月6日木曜日

肌の温もりがある

クレヨン牧師のミニエッセイ

「肌の温もりがある」
 
 娘たちの影響で、「セーラームーン」の再放送を見ています。初めはなんでこんなに人気があるのだろうか、と思っていました。ところが、みるみるうちに私もファンの一人になりました。内容はいたって簡単。正義の味方セーラームーンが悪い妖魔をやっつけるという勧善懲悪ものなのです。しかし、それが人気の秘密ではなさそうです。
 
 いろいろと分析してみますと、この主人公「月野うさぎ」が、実はいままでの正義のヒーローのパターンではないことがわかりました。仲間たちの中では一番弱い。ドジでまがぬけていて、泣き虫、すぐに逃げ出す。学校の成績は最悪で、自分勝手で、マンガが大好きという設定です。実は、とっても身近な存在なのです。肌のぬくもりが感じられるような、どこにでもいるような存在といってもいいくらいです。
 
 ある人の言葉を思い出しました。「私は、イエス様の肌の暖かさを感じることがあるんです」と。イエス様がそこにおられると感じるまで、御言葉を噛みしめてみたいものです。

2017年7月5日水曜日

一言聞いてあげれば

阿久根ルターくん朝のみ言葉

「一言聞いてあげれば」

エフェソ  4:29 聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

最近ある電話がかかってきました。高級毛皮の売り込みで、「愛する奥さんにどうぞ」とのこと。「いくらですか」と一応聞いてみました。すると「三百万円」だそうです。小さな教会の一年分の予算くらいだなと思いました。とうぜん断りましたが、それからです。その電話のセ-ルスマンが、「よろしいですよ。私も無理だとは思っていたのですが。ダメでもともと、あてにしないでお電話したのですから」というではありませんか。おかしいやら、知っているなら聞くなと、なんとも言えない気分で受話器をおきました。まったく役に立たない言葉でした。

パウロは悪い言葉を戒めています。言葉とは生き物で、言葉一つで人を励ましたり、祝福したりできます。しかし、使い方を間違うととんでもないことになります。言葉には命がありますから、言葉の中にある神様の命を大切にせねばなりません。

熊本空港にドライブにいってきました。早くもお盆休みをおえて早めに帰京する人々で満席の状態でした。事務局の時の飛行機の往復を思い出しました。私はいつも真ん中の座席の通路側に座ります。そこは3人がけになっており、隣には小学校5年位の男の子と、お母さんがすわりました。ところが座ったとたん、男の子は独り言をしゃべり始めました。「この飛行機はもうすぐでるかな」「パイロットはどんな人で何人いるか知っているよ。2人だな」とか。自問自答するのです。しかもそれから飛行機を降りるまで約2時間、しゃべりっぱなしでした。お母さんはということ、完全無視。ひとことの相槌もなく、雑誌を読んでいました。とてもつらい光景でした。きっと男の子はお母さんと話したいのでしょう。でも聞いてくれない。また聞いて言葉をかえしてくれない。これから大変だろうなと想像しました。

パウロは「聞く人に恵みが与えられるように」といいます。そのために「その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語りなさいといいます。聞く人と語る人がいつ。この間に言葉があります。その言葉には神様が存在しておられるのですから、私たちも聞くこと、語ることに注意したいと思います。

2017年7月4日火曜日

神様っておるん

クレヨン牧師のミニエッセイ

「神様っておるん?」
 
 長女が車の中で突然聞きました。「お父さん。神様って本当におるん」。突然の質問に驚きと喜びを感じました。とっさにどんな答え方をしようかと考えましたが、たった一言「神様はおるよ」と答えました。「神様は生きておられる」それだけで充分でした。
 
 数週間して、長女がまた聞きました。「お父さん。人間の神様は二人おるんよね。一人はマリア様で、一人はイエス様だよね」。そのときは「華ちゃんよく分かるね。でもちょっと違うよ。神様はイエス様だけだよ。マリア様は信じることを教えてくれる人なんだよ」と答えました。長女は不思議そうな顔をしていました。
 
 そしてまた週週間たちました。「お父さん。お友達が神様はおらんというけど、○ちゃんはおるってしっとるんよ。だってお父さんがおるって教えてくれたもんね」。
 
 私たちは信仰において、はっきりした態度を要求されるときがあります。要求する相手が子供であっても同じ事なのです。その時は聖霊が語ってくれる時でもあります。「神様は生きておられる」。この一点だけは私の家庭では他に譲れない一点です。

2017年7月3日月曜日

私たちの中に

阿久根ルターくんの朝のみ言葉

「私たちの中に」

マタイ 18:19   どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

東京の教会にいた頃「この教会の基礎は腐っていますね」とある人に言われました。牧師である私は、「そんなことはありません」と反発しました。しかし、それは本当なのです。となりのビル工事の建築家の眼でみれば事実なのです。私は聖書を読んでいたので、建物の基礎と教会の基礎をだぶらせて聞いてしまったわけです。建物にとって基礎とは何か。基礎のない建物はありえないこと。一番に気をつけるところが基礎であること。建築家の話を聞きながら、私たちの教会は幸せだなとしみじみ感じました。それは、イエス・キリストという土台の上に建っているからです。その土台の一つに祈り共同の祈りがあります。

イエス様は、「兄弟が罪を犯した場合にはまず2人だけになって忠告しなさい」と教えます。それでもダメなら、一人か二人をつれていって忠告しなさいと教えます。それでもだめなら教会に申し出なさいと。一方、願いごとに関しては、「あなたがのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら」といわれます。どちらも「まず二人で」ということが基本になっています。この二人という単位は何だろうかと思います。

会議用のワークショップ入門書を読んでいます。その中に、「私たちとは何か」という問いかけがありました。面白かったのは「You and I」と「We」の違いは何かというものでした。どちらも日本語では「私たち」になります。その本によると、「あなたと私」に第三者が加わったときに「我々」となると教えていました。この第三者をいつも感じ、受けとめている重要性をといていました。まだ読み始めたばかりなので、そのことの意味はこれから学んでいきますが。たしかに人間関係においてこの第三者の視点は確かに重要だと思います。

イエス様がまず二人でと言われるときも、この第三者の存在があるように思えます。その第三者はイエス様です。つねにそばにイエス様を感じるところで「忠告」「願い」がおこるのです。私たちの事務局の仕事の中にもこの「第三者」である、イエス様を感じながら与えられた働きを勤めていきましょう。

2017年7月1日土曜日

きままな休日・大盛り飯

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大盛りが有名な、どんじゅうにきました。
普通の定食でも中盛!大盛りは170円増!
それでも800円位。490円の定食でじゅうぶんでした。
   大江教会特盛探検クラブが発足しました。
これから大盛り飯を探求していきます。お楽しみに。。