2019年1月9日水曜日

「誰と共に歩くの」

阿久根ルター君の朝のみ言葉


「誰と共に歩くの」

箴言 13:20 知恵ある者と共に歩けば知恵を得、愚か者と交われば災いに遭う。

エクササイズ本の中でメトカーフという人が、「生身の人間であれバーチャルなものであれ、サポートしてくれる存在を持つことが成功の秘訣だ」と書いています。彼は、「自分自身の力だけで減量できる人は10人に1人だが、仲間のサポートがあれば10人に7人は減量できるようになる」と説明していました。初めからペースを上げることはせず、プロのトレーナーに頼り、ブログや電子メールで仲間に成果を報告するように勧めています。誰かが共に歩んでくれること、その人がどのように共に歩むかが大切なのでしょう。

箴言の13章は教育に関する格言です。「子は父の諭によって知恵を得る」という言葉から始まります。実はこの文には動詞がないので、翻訳には少し無理があります。あえて「父」を動詞の「愛する」に変更して、「賢い息子は諭を愛する」と翻訳している注解書もありました。父がどんな存在として共にあるか、それは子に知恵を与える者であることを示しているように思えます。

女子パウロ会の本に『動物の祈り』というものがあります。そのなかに「カメの祈り」もあります。「神様。どうかちょっとお待ちを。今まいります。私のお荷物は背負っていかねばなりません。別に好きこのんで背負ってるわけではないのですが・。いいえ、背中にのったこの家に不満なわけではありません。けっこう役に立つのですから。けれども主よ。おわかりくださるでしょうが年中運んで歩くとなるとなかなか重いものなのです。私に与えてくださったこの二重の束縛、甲羅と心の二重のかせゆえにあなたに対して心をとざすことがないようにいつも祈りつづけさせてください。ア-メン」私たちはこれが自分の祈りだというものを持っています。それは自分の弱さかもしれません。しかしそれを聞いてくださる神様も同時に持っているのです。

箴言は「知恵ある者と共に歩けば知恵を得る」と教えています。私たちは共に歩むときに、自分の心地よい人と歩むことを選びます。しかし、自分に心地よいだけではいけないのです。自分のことを本当に愛し、支え、時には忠告してくれる人と共に歩むことが必要です。イエス様が共に歩んで下さるということを考えてみたいと思います。