「自由という束縛」
2019年1月31日木曜日
「自由という束縛」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「自由という束縛」
大黒摩季という人のCD「POWER
OF DREAM」を買いました。といってもそれは何なのという声が聞こえてきそうですが・・・。私はこの人の曲をきくとなんだか元気になるのです。そのCDの中に次のような歌詞を見つけました。
道のない道を行けば いろんなことで迷う
かたちのない愛を信じれば かたちが欲しくなる
どうして あれもこれも 欲しくなるのだろう
何も望まないあなたは とても奇麗だから
風になれ この願い 夢を追いかけて
心のむくままに 溢れる思いのまま
この歌詞を読みながら、なぜか放浪の俳人・山頭火を思い出してしまいました。
風になって自由に飛び回るのは願いですが、彼の日記を読むとその苦しさが伝わってくるのです。自由というのは、また違った束縛のひとつかもしれません。
さて、どちらへ行かう風がふく 山頭火
風の明暗をたどる 山頭火
私たちは、いろいろなしがらみから逃れて自由になりたいと考えます。しかし、本当に自由になったときは、独りになったときです。独りがどれだけ苦しいのかを知りません。私たちの人生は、つねに主イエスと二人です。実は神様と二人であることの自由を知らないのかもしれません。
「自由という束縛」