2019年10月31日木曜日

「鯛網漁へいきました」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「鯛網漁へいきました」
 
 神様は私たちに「出会い」という素晴らしい恵みをくださいます。その恵みの中で、感謝したり、驚いたり、気がつかされたりします。
 
 先週の月曜日は鎌刈島の民宿へ行って来ました。ここでの出会いはたくさんありました。とくに自然との出会い。波の音以外なにも聞こえない民宿で、星をながめてきました。初めは北斗七星しか見えないのですが、時間がたてば目がなれてきて、夜空には満天の星が見えました。神様の造られた世界に圧倒されたのです。
 
 次の日は朝から漁師さんの船にのって「鯛網漁」へいきました。漁の様子も見ながら、ペトロとアンデレがなぜ2人組かわかりました。漁にでるには2人でないとできないまらです。1人が網を1人が船を操作しなければできない。主イエスが2人1組みで使わされた理由に出会った思いでした。タイミングと協力が一番大切なのかもしれません。結局、大きな鯛が1匹とれてバンザイでした。しかし、これだけの重労働をして一晩何もとれなかったのに、主イエスはどこからともなく現れて網をおろせといわれたのです。この主イエスの言葉の重みをひしひし感じ、それに従ったペトロとアンデレの従順に思いをはせました。
 
 先週のもうひとつの恵み。昨日結婚式があり、はじめて披露パーティに呼んでいただきました。結婚式が終わるとすぐご両親がこられ、「ぜひパーティへ」ということでいってきました。食事もおいしく、カラオケも歌わされましたが、結婚式のときの御言葉が確実に伝わっていることを確認できました。神様からあたえられる出会いのすばらしさを味わった一週間でした。

2019年10月30日水曜日

「ミッションを明確に」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「ミッションを明確に」

 ヨハネ  2:4 イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」。

震災救援活動も3ヶ月目に入りました。緊急救援からはじまり、物資支援、がれき撤去、仮設支援とその活動も広がってきました。ところが「活動は点が多く線になってない」「線と線がつながって面になっていない」と心配されています。東日本で活動した私にとってもそれは心配するところです。

支援センターを訪問し、なぜ点が線、線が面になっていかないかを考えてきました。そこで問題となるのは「救援活動のミッションは何か」ということです。スタッフ・ボランティアもこのミッションが共有されているかどうかです。ルーテル教会救援「でしたしこ」のミッションは被災者と徹底的に寄り添うことだと思います。そのために物資支援等が行われてきました。このミッションがはっきりしていることで、活動の原点に立つことができつながりが生まれるのです。しかもこのミッションは、これから被災地で一番求められることです。

 ガリラヤのカナで婚礼が行われ、イエス様と母マリア、弟子たちが参加していました。婚礼の席でぶどう酒がなくなり、母マリアはイエス様にぶどう酒がなくなったことを訴えます。その答えが「わたしの時はまだ来ていません」というものでした。イエス様の時とは、この世にきてくださったミッションが完成する時です。ヨハネ福音書では「栄光の時」と示されています。

 イエス様は「わたしの時はまだ来ていません」と言われました。イエス様の時とは十字架と復活を意味しています。そのミッションに集中しておられる。そのミッションのためにすべての出来事はつながっています。私たちキリスト者によって大切なことは、イエス・キリストのミッションを絶えず確認し、それを共有し、共に福音にあずかることです。

2019年10月29日火曜日

「ああ、いいなあ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「ああ、いいなあ」
 
 春満開といったところでしょうか。とても気持ちのよい季節になりました。牧師室も模様替えをしました。パソコンも新しくなり、気分一新というところです。この季節は牧師室のバルコニーが一番です。さわやかな春の風を感じながら、比治山の桜をみる。「ああ、いいなあ」という感じです。
 
 「ああ、いいなあ」といえば、わりと私たちのまわりでおこっているものだと思います。いがいとそれに気がつかないことの方が多いかもしれません。最近の私が感じた「ああ、いいなあ」といえば、こんな話しをききました。
 
 「ある方が急性心筋梗塞で倒れた。幸い処置がはやく一ヶ月ほどで退院された。その方が救急車で運ばれたとき、意識もうろうのなか若い看護婦さんがいきなり質問したそうです。『Aさんはお嬢さんがいますか』。変なことをきくなあと思ったがすかさずうなずいた。するとその看護婦さんはとても優しい声で、『では、これからは娘さんに甘えるつもりで、なんでも私におっしゃってください』といわれた。この言葉で自分は生き返った」という話しです。
 
 言葉というものは大変不思議なものだと思います。人を生かす言葉というものを、神様は私たち一人一人に与えてくださっているのだと思います。その言葉が心地よく「ああ、いいなあ」と喜ばせてくれるのでしょう。
 
 復活された主イエスの第一声は「おはよう」「あなたがたに平安がある」というものでした。嘆き悲しんでいた弟子たち、婦人たちはこの言葉で元気を取り戻したのです。元気で「おはよう」。これもまた、「ああ、いいなあ」です。

2019年10月28日月曜日

「それでも寄り添って」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「それでも寄り添って」

マタイ 176 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。

熊本地震と東日本大震災の違いがあるとすれば、被災者の心のケアと自立支援だと思います。「恐れ」と「不安」の違い、家は残っているがこれからどうするという問題もあります。どうしてよいかわからない状況の中で、いま一生懸命に踏ん張っておられる方があります。しかし、それでも、これでもかと続く余震と大雨。もううんざりします。しかし、その中に私たちは神様をみる瞬間があります。

イエス様はエルサレムへ向かう前、タボル山で変容されたと聖書は記しています。そのとき、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけがそこにいました。真っ白に輝き、モーセとエリアと話しておられる姿を見た時、神様の言葉が聞こえてきたとき、弟子たちは「非常に恐れた」とあります。直接、語りかける神様の声を聞いたからです。その体験は弟子たちの心の中に深く刻まれています。受け取った出来事は、弟子たちにとって恐れとして刻まれたのです。

先週は大きな余震がありました。これまでも毎日のように余震はありましたが、最近では久しぶりに特に大きく揺れました。もっとも恐怖だったことは「大雨・洪水警報」が出され、各地で大きな被害がでたことでした。被災者のみなさんは時間がさかのぼり41416日が再び心の底から突き上げてくる状況におかれました。共に働いている被災者の方は、「もういや。もうたくさん。なんで地震や大雨がくるの」との叫んでおられました。復旧への道を歩み始めた被災者に、これでもかというくらい余震が続き、更に別の災害がおこる。そのたびにあの日がよみがえってくる。私たちも何もできずに寄り添っているしかない。毎日が痛み苦しみとの戦いなのだということを教えられています。やっぱり、それでも踏ん張るしかないのです。

イエス様は恐れている弟子たちの近づき、手を触れていわれました。「恐れることはない」。恐れる弟子たちに近づいて手で触れておられます。ここにイエス様の愛を見ることができます。恐れのなかにあっても、イエス様は共にいてくださるということです。手で触れてくださるというのです。私たちのとなりにいてくださるイエス様が恐れる人たちに触れてくださる。私たちはそう信じて寄り添っているのです。

2019年10月27日日曜日

きままな休日・じじやの新幹線寿司

新幹線が運んでくるお寿司です。
これで3400円はすごおおおおおおい
また味もおいしかったですよ。

2019年10月26日土曜日

日曜日は礼拝です

説教者:立野泰博牧師(主任牧師)
大江教会TV礼拝
皆さんお待ちしています。

2019年10月25日金曜日

秋のコンサート


チェンバロ 加藤麻衣子さん プロフィール

エリザベト音楽大学、東京藝術大学大学院修了。2010年、トゥールーズ地方音楽院をプルミエプリを得て卒業。2013年、同音楽院にてチェンバロのDEM取得。2014年、トゥールーズ高等芸術院にて、国家演奏家の資格を取得。これまでに、トゥールーズの国立オーケストラ、J.P.カニヤック率いる古楽アンサンブルのサックブチエを始めとする数々のアンサンブルと共演。また、古楽器ホルン奏者のJ.ランバックやサックブート奏者のD.ラサル、F.ミリシェールと共演。2010年、ジャン=ルイ・フローレンツ国際オルガンコンクール優勝並びに、フランス芸術院よりグランプリ受賞。2013年、ジンバーマン国際オルガンコンクールファイナリスト。同年、グザヴィエ・ダラス国際オルガンコンクール第3位、聴衆賞受賞。オルガンを戸沢真弓、廣野嗣雄、椎名雄一郎、M.ブヴァール、J.W.ヤンセンの各氏に師事。日本福音ルーテル東京教会オルガニスト。日本オルガニスト協会、日本オルガン研究会会員。

 
ヴィオラ・ダ・ガンバ 木村鐘靖さん プロフィール

1959年生まれ、幼少よりヴァイオリンを広瀬大喜氏に師事、高校2年生の時、熊本交響楽団に入団。大学生の時、グループ葦と出会い、ヴィオラ・ダ・ガンバを引き始める。

2019年10月24日木曜日

「み言葉を・・・」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「み言葉を・・・」
 
 第7回全国中高生キャンプも無事に終わりました。宣教百年で始まった中高生キャンプを、若手牧師・青年の有志が集まって第2回以降開催されてきました。なぜだか、第2回目から委員長にされいままでやってきました。この7回の中から神学校へ進み牧師を目指して神学生が3人生まれました。とってもうれしいことです。今回も北海道から参加してくれた高校生が、キャンプをきっかけにイースターに堅信式を受けるという嬉しいニュースが飛び込んできました。
 
 さて、今回のキャンプの最後に三鷹教会の平岡正幸牧師が、閉会礼拝で水野源造さんの詩を紹介してくださいました。
 
   脳性麻痺のために 全てをうばわれたが
 
   神様が 目と耳だけを 守ってくださった。
 
   み言葉をよむために み言葉を聞くために
 
   み言葉によって 救うために
 
 私たちの主イエスは、十字架の死によって私たちから奪い去られてしまいました。しかし、神様は私たちにもまた、目と耳を守ってくださった。主イエスは今日「おはよう」といって私たちの前に立っておられるのです。
 
 み言葉をよむために、み言葉を聞くために、み言葉によって救うために。そしてみ言葉を信じるために。イースターおめでとうございます。

2019年10月23日水曜日

「つもりが怖い」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「つもりが怖い」

ルカ 2:49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」

子どもたちが小さかったときよく「~しなさい」と言ったものです。「勉強しなさい」「早く寝なさい」「早くお風呂にはいりなさい」などなど。するときまって子供たちが次のように言いました「いまするつもりだったのに」。このとき「つもり」という言葉は一体何かなと考えてしまいました。確実なことは「つもり」では何もやってないということだけでした。

福音書の中では、ルカによる福音書にのみ「少年イエス」の出来事が記されています。家族の中でマリアとヨセフの子どもとして生活されていた出来事です。神様であるイエス様を、自分の子どもとして育てることは私たちには想像できません。しかし、人として同じように生きてこられた神様であるということを思わされる出来事です。親であって親ではない。これが「つもり」にならなければいいのですが、マリアとヨセフにとってはいつも間違いやすいものではなかったでしょうか。

「つもり」というのが一番危ないことだと思います。「~しているつもり」。つまりできてないと言うことです。自分ではできているように感じます。しかしできてないこともわかっているから「つもり」なのでしょう。勉強しているつもりで、他のことをしている。やっぱり自分をだますのは、自分が一番巧妙なのでしょう。自分が自分だまされいあためには「つもり」を考え直すことかもしれません。

マリアとヨセフは、イエス様の親でした。それが「つもり」に変えられる一瞬があったようです。イエス様は「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」と言われています。実際は親であるが、神様からみ子をあずかった存在です。このことをしっかりと自分のうちに確認できないと、親のつもりになってしまいます。マリアとヨセフがこの世では育ての親であろうとも、イエス様は神の子なのです。そしてマリアとヨセフでさえもイエス様の十字架によらなければ救われません。私たちもキリスト者のつもりというのが大変な問題です。

2019年10月22日火曜日

「ビア・ドロローサ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「ビア・ドロローサ」
 
 エルサレムには、キリスト教のエッセンスが凝縮していると感じることがあります。ところが、主イエスがエルサレムで過ごされたのは、わずか1週間にすぎないのです。しかし、ここにと思えるのは、そこで十字架の出来事があり、また復活が起こったということなのです。
 
 エルサレムの旧市街に、ビア・ドロローサ(悲しみの道)という道路があります。主イエスが死刑の判決を受けて、ゴルゴタの丘まで十字架を背負って通られた道です。ここには今もなお、多くの巡礼者でごった返しています。エルサレムでは一番の人気の場所です。キリスト者の多くがここを歩いてみたいと思っています。またここに自分の手で触れてみたいと思っているようです。そういう私も触れてきたのですが。
 
 また、ビア・ドロローサを通って、聖墳墓教会(ゴルゴタの丘があったところ)へ向かいます。いまもなお主イエスの十字架が立てられた穴(いまでも触れることができるので、ツルツルになっていますが)と、おさめられた墓が残っています。驚かされるのはその聖墳墓教会の石の門柱に、十字架がたくさん刻まれていることです。中世から人々はここをめざして、死の危険にさらされながらやってきます。そして、たどりついたしるしとして十字架を刻むのです。その数やものすごい数でした。
 
 どうして、人はここにやってくるのでしょうか。ここへきて何を思うのでしょうか。それはやっぱり「私の罪のために」ということでしょう。そのあとは感激で言葉がでないのですが・・・。

2019年10月21日月曜日

「一つになって」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「一つになって」

使徒言行 2:44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った、そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。

仮設支援協議のために会議に出たことがあります。仮設支援は、一人の孤独死も出さないようにというテーマをもって各団体が活動をしています。しかし孤独死は増えるばかりです。ルーテル救援も仮設でお茶っこ会(サロン)をしていました。課題は男性の参加者がいないということでした。ある仮設では多くの男性参加者がおり、活動も活発です。そこの違いは「自治会」だそうです。自治会組織が仮設で形成できたところは、自治会の中に男性がおられるのです。その自治会をどうやって作り上げて行くか。課題もそこにあります。そのためには核となるリーダーを必要とします。

使徒言行録は初期の教会の様子をしるしています。「一つになって」「共有」「神殿に参り」「パンを裂き」「食事を共にに」「神を讃美する」。これらは教会の理想像かもしれません。しかし、まず「一つになって」が最初に来ていることに、教会の基本をみます。

熊本地震でもこれから仮設への移住が始まります。その時、上に立つリーダーは何を考えるのでしょうか。仮設という考え方からではなく、たとえ仮の住まいであってもそこは住居であるというところから始まってほしいと思います。仮設では、お店もないし、病院もないし、教育施設もないし。しかし、たとえ仮設であってもそこには町をつくるという発想が出来ないものか。そこからはじめられないものか。そこは上に立つリーダーの考え方次第なのかもしれません。

教会の初めも、12使徒というリーダーがいました。このリーダーたちの信仰に支えられた共同体があったのです。その中心にはイエス・キリストの福音がありました。この福音があったからこそ「一つ」であったといえます。

2019年10月20日日曜日

きままな休日・あずまの麦とろろ定食

草刈り作業のあとはごちそう!
秋はそばの季節ですよね。
麦とろろも最高でした。

2019年10月19日土曜日

明日は礼拝です

説教者:小副川幸孝牧師(九州学院チャプレン)
大江教会TV礼拝
皆さんお待ちしています。

2019年10月18日金曜日

今年もこんさーとがあります。


チェンバロ 加藤麻衣子さん プロフィール

エリザベト音楽大学、東京藝術大学大学院修了。2010年、トゥールーズ地方音楽院をプルミエプリを得て卒業。2013年、同音楽院にてチェンバロのDEM取得。2014年、トゥールーズ高等芸術院にて、国家演奏家の資格を取得。これまでに、トゥールーズの国立オーケストラ、J.P.カニヤック率いる古楽アンサンブルのサックブチエを始めとする数々のアンサンブルと共演。また、古楽器ホルン奏者のJ.ランバックやサックブート奏者のD.ラサル、F.ミリシェールと共演。2010年、ジャン=ルイ・フローレンツ国際オルガンコンクール優勝並びに、フランス芸術院よりグランプリ受賞。2013年、ジンバーマン国際オルガンコンクールファイナリスト。同年、グザヴィエ・ダラス国際オルガンコンクール第3位、聴衆賞受賞。オルガンを戸沢真弓、廣野嗣雄、椎名雄一郎、M.ブヴァール、J.W.ヤンセンの各氏に師事。日本福音ルーテル東京教会オルガニスト。日本オルガニスト協会、日本オルガン研究会会員。

 
ヴィオラ・ダ・ガンバ 木村鐘靖さん プロフィール

1959年生まれ、幼少よりヴァイオリンを広瀬大喜氏に師事、高校2年生の時、熊本交響楽団に入団。大学生の時、グループ葦と出会い、ヴィオラ・ダ・ガンバを引き始める。

2019年10月17日木曜日

「牧師はお茶かも」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「牧師はお茶かも」
 
 全国青年連絡会議で京都へ行って来ました。いまの青年たちは社会人が多く、どうしても土曜の夜が会議になってしまいます。ということで、いつでも夕方からの日帰り会議という、牧師にとっては辛い日程となります。まあ、これも青年活動の活性化のために必要だと思います。
 
 最終の広島止まりの「のぞみ」に乗り、ノートパソコンを広げて説教のまとめをしていましたら、お弁当売りがやってきました。つい「どんな弁当があるの」と聞いてみました。すると「全国の美味がすべて味わえるグルメ弁当があります」とのことでした。つい調子にのって買ってしまいました。なにせ青年会議はご飯も食べずにやるものですから。
 
 さて、そのお弁当の中身はといえば、「帆立貝の照り焼き・北海道、米沢牛の有馬山椒炊き・山県、蓮根旨煮・茨木、人参旨煮・千葉、焼き穴子・東京、守口漬け・愛知、日野菜漬け・滋賀、小鯛の笹漬け・福井、丹波の黒豆含煮・京都、牡蛎のしぐれ煮・広島、ゆずなます・高知、椎茸旨煮・大分、薩摩揚げ・鹿児島、桜海老の炊き込みご飯・静岡、ゆかりごはん・こしひかり100%」と、さすがに土地の名産品でした。
 
 ひとつひとつ食べながら、神さまが召された教会の中みたいだなあと、フト思いました。会員一人一人の個性があり、それぞれが必要なところで働いておられる。全てが美味なのです。食べる方には好き嫌いはありますが、どれか自分にあう味と出会えるのです。すると牧師はどれかなと思いましたが、きっと食べやすくなるための「お茶」かもしれない・・・と楽しんで帰ってきました。

2019年10月16日水曜日

「行って、宣教する使命」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「行って、宣教する使命」

 マタイ 10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい

使命・ミッションが何かを知ることの大切さを説明した言葉があります。それは「船長のミッションが船を守ることであるならば、船長は船を港からださないであろう」です。自分たちが与えられた使命が何であるか、それは間違ってないかを点検しなければなりません。教会も維持することのみがミッションとするならば、外に向かっての宣教を考える必要はなくなります。各個教会が何をミッションにしているか。また、そのミッションを共有出来ているかを考えてみなければなりません。

 イエス様は弟子たちを宣教へと派遣するにあたり、御自分と同じ権能を与えておられます。宣教する弟子たちの働きは、イエス様の活動と同じ内容でした。弟子たちが出て行って伝える教えも、イエス様と同じ「天の国は近づいた」と、み言葉を宣べ伝える使命が与えられたのです。

「サッカー好きの少年が広場に集まって練習してもプロにはなれない」という言葉を読みました。そんなことはないと反発したくなりました。「好き」ということがまず大切で、「楽しく」やることで成長すると思ったからです。その本を続けて読んでいくと、「なるほどそうだ」と考えを変えました。「プロになる」。これが目標になったら、「好き」「楽しい」だけではいけません。指導者に基本を学ばねば将来プロにはなれない。遊びに終わるだけでいいなら十分です。プロになるという目標があるのなら基本から学び、やるべきことはわかっているというのです。教会の宣教はどうでしょうか。なにを使命としているのでしょうか。これがいまの私の問です。事務局時代にいろんなルーテル教会の礼拝に参加することができました。「どこも同じ」という印象です。礼拝形式から内容、会員構成、財政問題、次世代へのアプローチ問題、出席人数など。同じ問題を抱える原因はどこにあるのでしょうか。「使命」が何かを、教会全体で共有してないことかなと漠然と思っています。れから考えていかねばなりません。ただ、基本は「宣教する」という、イエス様からいただいた使命です。この基本にまず帰ってみることの重要性を感じています。

 イエス様は「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と言われました。外に向けて出かけていき、み言葉を語り、奉仕する使命・ミッションを与えられました。しかも具体的な指示をされています。ミッションがはっきりしているので、弟子たちはみ言葉を信じ、安心して出かけていったのでしょう。私たちに与えられている神様のミッションがわかっているか。そのミッションに従っているかを考えて今日一日を生きてみましょう。

2019年10月15日火曜日

「最後の晩餐の部屋での聖餐式」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「最後の晩餐の部屋での聖餐式」
 
 イスラエル旅行も2度目となると、感激とは別に聖地の魅力というものに引きつけられた自分を確認するものでした。はじめて行かれた参加者は、「すべてが聖書の通りでした」「イエス様がすぐそこにおられる感じでした」とお手紙をいただいています。キリスト者なら1度はガリラヤ湖畔に立つことが夢だということもわかるような気がします。
 
 さて、今回の旅のスタートはカイザリアでした。ここはペトロによって異邦人伝道が始まったところであり、パウロが3年間幽閉されローマへ護送された港町です。世界伝道の起点の町です。雲一つない空と真っ青な地中海をながめながら開会礼拝をしました。それからイエス様の足跡をめぐり、旅の締めくくりは最後の晩餐の部屋での聖餐礼拝でした。なぜ、最後の晩餐がなされた部屋が締めくくりだったかといえば、そこはペンテコステ(聖霊降臨)の部屋だからです。
 
 実は、聖餐礼拝をどこでするかスタッフ一同悩みました。結局は行ってから決めることになったのです。エルサレムに入る前には決めたいと思っていましたが、ガイドの高橋さんが「最後の晩餐の部屋で行うことができますよ。いろいろな団体が様々なことやっていますから」と教えてくださったのです。一か八か、もしかすると大勢の団体の喧噪の中での聖餐式になるかもと覚悟していました。ところが、なんと他の団体がいなくなったところで、静寂とともに行うことができました。これはやっぱり奇跡だと感じました。神様は必要なところへいつも導いてくださるのです。聖餐式に用いたヘブロングラスのカップは、それぞれの思い出とともに自分へのお土産になりました。

2019年10月14日月曜日

「一緒に歩くとなりびと」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「一緒に歩くとなりびと」

ルカ 24:15 イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

ルーテル支援センター「となりびと」は、仙台市内にある聖公会支援センターに事務所を置かせていただきました。これまでも聖公会とはエキュメニカルな対話を続けてきましたが、この災害が対話を具体化するものとなりました。聖公会とルーテルは協働し、宮城県の支援に携わっていきました。私たちルーテル支援は「となりびと」、聖公会は「いっしょに歩こうプロジェクト」と名前がつけられていました。どちらもその教会支援の特徴を表現しています。この2つのオフィスが一つになったことで、一緒に歩くとなりびとになりました。まさにイエス様の活動そのものだと思います。

ルカによる福音書は、イエス様の復活後の出来事をガリラヤではなくエルサレム周辺の出来事として記しています。エルサレムからその後の伝道は始まったことを描きだしています。2人の弟子がエマオへの道を歩きながら、十字架の出来事や復活のことを論じ合っていました。そこにイエス様が現れたのです。不思議なことに彼らはイエス様がわかりませんでした。ただ共に歩かれる方の存在を知っただけでした。

東日本震災のテーマであった「となりびと」は、その後「寄り添いびと」へと変化していきました。「となり」ではなく「寄り添う」という、一歩踏み出した支援活動へと歩みださねばなりませんでした。しかし、隣り人の本来の務めは「寄り添う」ことによって成り立つことを教えられました。さて熊本震災のテーマ「できたしこ」はどうでしょうか。まだその途中にあって、先が見えていません。一体どこにいきつくのか。共に歩むイエス様からの答えを待っているところです。

イエス様はエマオへの途上で、まず弟子たちに近づいてこられました。となりびとではなく、2人に寄り添われたのです。そして一緒に歩き始められました。この復活後の出来事のなかに、痛み苦しむ弟子たちのためにされたことが凝縮しています。今回の支援もテーマもイエス様の中に見つけることができるようにと祈っています。

2019年10月11日金曜日

大江教会では

協力教会の大江教会で
祝福式がおこなわれまsおこなわれます。
熊本ですが、、

2019年10月9日水曜日

「目標・ゴール・期間」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「目標・ゴール・期間」

マタイ 10:7 行って、「天の国は近づいた」と宣べ伝えなさい。

少し落ち着いてきたので、時間をみつけて読書をするようになりました。めまぐるしく時間が過ぎていくなかで、何かひとつでも違ったことをしておかねばとおもったからです。しかし救援活動に入り込んでしまうとそのような時間はなくなってしまいます。今日読んだ本の中にあった言葉です。「オーケストラは、これから演奏しようとする楽曲、つまり目標を知らないメンバーはいない」。救援活動も一致した目標は何かを常に示す必要があります。目標とゴールと期間。これが明確にしめされてこそ活動がよりよい報告に進んでいくのです。この3つを本部が示しているかをたえず考えておかねばなりません。

イエス様は弟子たちを派遣するにあたり、イエス様は同じ権能を弟子たちに与えられました。その働きはほとんどイエス様の働きと同じです。また、行って人々に宣べ伝えることも「天の国は近づいた」ということであり、これもまたイエス様の教えに基づいています。また派遣するにあたり注意されたことは、的確な指示でした。

台湾の教会でのセミナーで一番印象に残った言葉は、「貧乏の夫婦にも、金持ちの夫婦にも子供は与えられる」という言葉でした。これは教会の宣教方策、宣教目的の話のときに出てきた言葉です。台湾のルーテル教会は、その宣教目標に新しい教会を生み出すことをあげていました。どんなに小さな教会で予算がなくても、どんなに大きくて安定している教会でも教会は生み出すことができるのだと教えられました。

イエス様は弟子たちを派遣するにあたり、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と言われました。大きな目標はみ言葉を宣べ伝えることでした。このはっきりとした目標のもとに派遣されたのです。私たちの活動におけるイエス様のみ言葉はなにかを考えつつ今日も被災地に立っています。

2019年10月8日火曜日

「完全なヨーロッパ人」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「完全なヨーロッパ人」
 
 イスラエル「イエスの足跡をめぐる旅」から無事に帰ってきました。今回も帰りたくなかったという感想です。もっと若ければイスラエルのガイドとして伝道活動したいなあとしみじみ感じました。
 
 さて、イスラエルに行くには、飛行機でオランダまで13時間、4時間空港で待って、6時間でテル・アビブです。これがいちばん大変でした。機内で暇なのでオランダ航空の雑誌を読んでいたら、面白いことに出会いました。「完全なヨーロッパ人」というもので、「完全なヨーロッパ人になるためには、英国人のように料理しなければならない」というように、すべてが逆に書かれたジョークです。しかしそこの国民性が非常に出てて、思わずうなずいてしまいました。
 
 それでは完全なヨーロッパ人とは、「英国人のように料理をする。フランス人のようにドライブする。ベルギー人のようによく働く。フィンランド人のようにおしゃべりになる。ドイツ人のようにユーモラスである。ポルトガル人のように器用である。スウェーデン人のようにフレキシブルである。ルクセンブルク人のように有名になる。オーストリア人のように忍耐強くなる。イタリヤ人のように自制する。アイルランド人のようにシラフでいる。スペイン人のように控えめになる。オランダ人のように気前がよい。ギリシア人のように組織的に行動する。デンマーク人のように慎重に行動する」というものでした。
 
 それでは日本人はどうなるのか、キリスト者はどうなるのかと考えていると、キリストにあって君は君自身であれという声がどこからか聞こえてきました。

2019年10月7日月曜日

「イエス様の値段」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「イエス様の値段」

マタイ 26:14-15 十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。

物質としての人間の値段はいくらかということを調べた人がいます。結果は約5000円です。この値段を安いとみるかどうか。なぜ人間の値段が約5000円かというと、脂肪から石鹸7個分がとれます。炭素から鉛筆の芯が9000本分。鉄分から2寸釘1本分。リンからマッチ2200個分となるからです。以上の合計が5000円ということです。これを聞いただけでも、人間は値段にはかえられないことがわかります。人間の価値は金額ではありません。命の値段は金額ではないことは皆がはっきり知っていることです。

イエス様の逮捕を、大祭司たちは祭りの間は止めておこうとします。過越しの祭りは、ユダヤ人にとって大切なものであり混乱を避けようとしたのです。そこへ、イスカリオテのユダがやってきました。大祭司たちにとって、ユダの裏切りは好都合で混乱の責任も押し付けられると考えました。ユダは「幾らくれますか」とお金を請求しています。マタイ福音書にとってこれは旧約聖書の預言の成就(ゼカリヤ11:12)を意味しました。

ある神父さんが書かれた本の中に次ぎのような話をみつけました。ある一人のおばあちゃんが神父さんに質問しました。「神父さん、私はなぜここにいるのですか」と。みなさんはどんな答えをされますか。いろいろと話をきいて、その神父さんは次のように答えました。「おばあちゃん。あなたは長い人生でさまざまな苦労や試練を乗り越えて、ここまで頑張ってこられたでしょう。それは、ご家族や私などには大きな励みになりますよ」と。この話をよんで、さわやかな気分になりました。人はなぜと考える。自分では自分の価値を見いだせないときもある。そのなぜの答えは自分の中にあるのでなく、人を通して、神様を通して答えは与えられるものだと思うのです。

イスカリオテのユダは「幾らくれますか」と言います。イエス様の十字架の死の値段は銀貨30枚でした。この値段の意味をどう考えればいいのでしょうか。私たちの命でさえ金額では計れません。私たちは神様から大切にされている存在です。たとえ銀貨30枚で売られたイエス様の命でも、その命は十字架という使命のために捧げられたものです。この十字架があるからからこそ新しい命が与えられました。復活の命は永遠の命として、神様から与えられる最大最高の命です。

2019年10月6日日曜日

2019年10月5日土曜日

2019年10月4日金曜日

2019年10月3日木曜日

「最後の晩餐の部屋での聖餐式」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「最後の晩餐の部屋での聖餐式」
 
 イスラエル旅行も2度目となると、感激とは別に聖地の魅力というものに引きつけられた自分を確認するものでした。はじめて行かれた参加者は、「すべてが聖書の通りでした」「イエス様がすぐそこにおられる感じでした」とお手紙をいただいています。キリスト者なら1度はガリラヤ湖畔に立つことが夢だということもわかるような気がします。
 
 さて、今回の旅のスタートはカイザリアでした。ここはペトロによって異邦人伝道が始まったところであり、パウロが3年間幽閉されローマへ護送された港町です。世界伝道の起点の町です。雲一つない空と真っ青な地中海をながめながら開会礼拝をしました。それからイエス様の足跡をめぐり、旅の締めくくりは最後の晩餐の部屋での聖餐礼拝でした。なぜ、最後の晩餐がなされた部屋が締めくくりだったかといえば、そこはペンテコステ(聖霊降臨)の部屋だからです。
 
 実は、聖餐礼拝をどこでするかスタッフ一同悩みました。結局は行ってから決めることになったのです。エルサレムに入る前には決めたいと思っていましたが、ガイドの高橋さんが「最後の晩餐の部屋で行うことができますよ。いろいろな団体が様々なことやっていますから」と教えてくださったのです。一か八か、もしかすると大勢の団体の喧噪の中での聖餐式になるかもと覚悟していました。ところが、なんと他の団体がいなくなったところで、静寂とともに行うことができました。これはやっぱり奇跡だと感じました。神様は必要なところへいつも導いてくださるのです。聖餐式に用いたヘブロングラスのカップは、それぞれの思い出とともに自分へのお土産になりました。

「うれしいことがあった

クレヨン牧師のミニエッセイ

「うれしいことがあった」
 
 最近とてもうれしいことがいくつかありました。ひとつはインターネットメールで、結婚式をした新郎のお父さんからメールをいただいたことです。
 
 「素晴らしい結婚式をありがとうございました。 息子たちは結婚式、披露宴、二次会の後 友人たち30名に見送られハネムーンへ...立野牧師様とお世話くださった方々のお人柄でしょうか、娘もルーテル広島教会で結婚式を望む理由が判りました。しっかり者のお姉さんと無頓着な弟、これからも二人をよろしくお願いします。」というものです。姉さんは7月に結婚式の予定です。新郎さんがMacユーザーなので話が盛り上がっています。
 
 もうひとつは三女・聖美のお祈りが変わったことです。我が家では食前の祈りを3人の娘が小さい順に祈り、最後にお父さんが祈ることになっています。長い祈りのときですが、まだ喜んで祈ってくれています。その中でも三女・聖美の祈りが少しずつ成長してきているのがわかります。はじめは「アーメン」だけでした。そして「神様アーメン」となり、「神様ありがとうアーメン」となってきました。そしてついに先週の月曜から「神様、ごはんをありがとうアーメン」となったのです。祈りも成長するのだということに感動を覚えました。こんどはいつ他者のために祈ることができるようになるか楽しみに待っているところです。
 
 最後に11日の結婚式での出来事。新婦入場の直前にお父さんに「ほんとうにいままでありがとうございました。わたしからお父さんへの言葉です」と新婦が言われたのを聞いて、とっても嬉しい気持ちで「神に感謝」と言えました。

2019年10月2日水曜日

「瓦礫ではない」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「瓦礫ではない」

創世記 13:14  主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」。

災地の状況を現わす表現に「瓦礫の山」と言う言葉を聞きます。しかし、そこで生きて暮らしてきた方々にとってそれは、大切な思い出の品、かけがえのない財産です。「瓦礫の山」と言う表現を使うのは、外から見ている人たちの表現なのかもしれません。

アブラムもロトもたくさんの財産を持っていました。しかし、財産を多く持っているということで争いが生じることになりました。そこで別々に暮らすことになりました。どの土地を選ぶかの選択権は、伯父であるアブラムにありました。ところがアブラムは、まずロトに選ばせたのです。アブラムはそれによって人間の目から見るとあきらかに劣る土地で生きるようになりました。ところが神様はアブラムを祝福し、見える限りの土地を与え、子孫を与えると約束されたのです。その土地がどんな土地であろうとも、神様の祝福があり恵みが満ちあふれていたのです。

家財清掃をしていると、アルバムやノート、位牌、仏壇、これまで大切にしてこられた品物を見つけることができます。そのかけがえのない大切な土地をみて、被災者のみなさんはどのように感じておられるのでしょうか。その土地にたち東西南北を見渡して、何が見えているのでしょうか。今は、まだ災害救援の時期です。そしてこれからは救援から、復旧がはじまる¥り、仮設移転となって復興へと向かいます。その間に、自立支援があり、生活支援があります。しかしそこに留まらずに、新しく次につながるコミュニティづくりを目指していかなければなりません。いまが一番難しい時に被災地はあります。そのなかで「瓦礫」ではない「これからも生きていく土地」に目を向けていきたいと願います。東西南北は生きる土地なのです。

神様はロトと分かれたアブラムに「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」と言われました。アブラムがみることのできるすべての土地をあたえ、子孫を与えると約束しておられます。アブラムは神様の約束を信じ、そこに希望を見いだして新しい人生の一歩を踏み出したのです。

2019年10月1日火曜日

「雪の日の青空」



 クレヨン牧師のミニエッセイ

「雪の日の青空」
 
 火曜日の夜から降り続いた雪が、平和大通りを真っ白にしてくれました。あらためて冬なんだと思わされました、雪のため交通はマヒし、寒さに震えました。ところが、子どもたちときたら大喜びではしゃぎ回っておりました。犬はよろこび庭駆け回りではなく、子供は喜び庭駆け回り、牧師はパソコンで暖まる。
 
 さて、長女・華美が雪をみて教えてくれました。「雪っていうのは、埃がないと雪にならんのよ。埃に雪の結晶がくっついて降ってくるんよ」と。そういえば雪を食べると埃の味がしますよね。始めて教えられました。雪がやんだ日の青空が美しいのは、雪が空中の埃を全部とってくれているからですね。あの雪の日の青空が私は大好きです。
 
 私たちの信仰もまた、あの雪の日の青空のごとく澄み切っていたいものです。しかし、なかなかそうはいきません。澄み切ったと思った瞬間に、また埃まみれになってしまいます。ぬぐってもぬぐってもまた埃まみれになります。神様から離れている私たちの罪の現実がそうさせるのです。白い雪をみながら、私たちの罪も白い雪が包んでくれないかなと思います。いやいや、本当は毎日白い雪に包まれているのかもしれません。
 
 実は、教会で白という色はイエス・キリストを現しています。白はイエス様のみの色です。そうすると、私たちはいつもイエス様に包まれていますから、真っ白につつまれていることになります。ただし、雪のように冷たくはありません。