2019年新年礼拝説教
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
「思い悩んだからと言って」
ルカ 12:22 イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」。
利休七則に、心にのこる言葉があります。それは「花は野にあるように」です。何回よんでも深い言葉です。野に「あるがまま」ではなく、「あるように」というところに感銘をうけます。これは野に花が咲いている状態がいまここにあり、それを感じさせるように生けることです。つまり野に花がさいていることを再現しなさというのではありません。たった一輪の花でさえも、野に咲いているように表現できるならば「あるように」ができます。ただそのように生けるには、余計な「モノ」を取り除かねばなりません。
イエス様は群衆の一人に「愚かな金持ちのたとえ」を話されたあと、弟子たちに「思い悩むな」と言われました。弟子たちはすべて(所有物)を捨ててイエス様に従っています。その弟子たちは何も持っていなくても、神様がすべて養ってくださると言われるのです。命のこと、食べること、着ることで思い悩まなくても、神様はすべて配慮してくださるから「思い悩むな」と教えられたのです。
「セレンディップの3人の王子」という話があります。この童話の王子様はしょっちゅう探し物をしています。だから人々からはおかしな人と思われている。でも、しょっちゅう探し物をするのは普通のことです。私たちもしょっちゅう探し物をしているのですから。しかし、この王子様が私たちと違うところはしょっちゅう探し物をしているが、探している物は見つけられない。そのかわり別の宝物を見つける。探しているものよりもっと貴重な物を見つけ出してくるという王子様なのです。つまりこの王子様は思いがけない発見をする能力をもっていたのです。自分が思い悩んでいること以上に、神様は守っていてくださることを知る。その発見があれば今日のことで生きていける発見をするのです。
イエス様は「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」と教えられました。今日をしっかり生きることが明日へつながります。まず今日の命を感謝し、神様を信頼することです。明日のことは明日自らが思い悩むことですから、それは神様におまかせすればよいのです。明日の問題とすればいいと言われます。与えられた今日のこと、いま目の前にある働き、招き、使命に素直にとりくんでまいりましょう。