2019年7月9日火曜日

「祈りとな何か」

クレヨン牧師のミニエッセイ


「祈りとな何か」
 ここに書きたいことも多いし、書かねばならないことも多いのですが、書けない時というのはまったく手が付けられないものです。
 
 今週はいろいろなことがあり、様々なことに出会ったのですが、「今週のこれ」というものがないのです。この一週間で熊本、神戸などにでかけたのですが、何を書いて良いやらさっぱりです。気になるのは明日のお天気ばかりです。久しぶりの野外礼拝ですが、やっぱり雨でしょうか。雨ならば雨なりに、神様が何か用意された出来事がまっているのでしょうし、雨でなければならない神様の理由があるのだろうと、開き直っています。ああ、ますます雨が強くなってきました。
 
 雨といえば、祈りについて次のような話しがあります。
 
 「ある幼子が夜寝る前に祈りました。『神様、明日は楽しい遠足です。どうか雨を降らさないでください』。同じ時間、となりの家である農夫が祈りました。『神様、明日こそ雨を降らせてください。このままでは作物が枯れてしまいます』。さて次の日、神様はどちらの祈りを聞かれたのでしょうか」
 
 この話しは「祈りとは何か」を学ぶためのたとえ話です。結論は祈りとはそのようなものではないということです。神様は祈りを聞いてくださいますが、それは神様の御心によってであって、祈ったからの結果ではないのです。晴れでも雨でもそれは神様の御心なのであって、そこには神様だけが知っておられる恵みがあるのです。
 
 雨のときは雨なりに、神様の恵みとは何かを知る時となるでしょう。でも、やっぱり晴れてほしいなあ。神様、お願い。