「おのずから」
2019年2月28日木曜日
「おのずから」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「おのずから」
教会の会議に行く途中の新幹線のなかで、「桃李不言下自成蹊」という言葉に出会いました。う~んと唸りながら考え込んでしまったのです。この言葉は司馬遷が著した「史記」の中の「李将軍伝賛」に出てくる言葉です。
「桃李はもの言わざれども、下おのずから蹊(みち)を成す」という意味です。簡単に説明すれば、桃や李(すもも)は「美しく咲いたから、果実を美味しく実らせたからいらっしゃい」と自己宣伝などはしない。ただ、黙々とみずからの勤めとして精一杯花を咲かせ、あるいは実をみのらせているだけであるが、その美しさ、おいしさに惹かれて人々がやってくるので、下におのずから小径ができたというのである。きっとそういうことです。
読んでいた本の著者は続けて、人も商売も、いかなることも、いかに宣伝しても実がなければ人は集まらず、間違って集まっても、やがて去ってゆくであろう。だまっていても中身が本物なら、中身がゆたかならば、おのずから招かれずとも人は集まり、商売ならば繁盛してゆくものである、と書いておられました。
教会の会議で、「どうすれば人が集まってくるか」という声をよく聞きます。答えはでません。教会の中身が本物なら、おのずから人は集まってくるのでしょう。しかし、問題は中身の内容です。それはいったい何かと考え込んでしまったのです。それがわかれば教会はふたたび成長していくのですが。
「おのずから」