クレヨン牧師のミニエッセイ
「雑文で朝がくる」
牧師になってまだ10年ですが、これでも毎週続けているものがあります。それは、この雑文「神様のクレヨン」を書くことです。5年ごとにまとめて本にしていますが、やっと「神様のクレヨン2」の出版のめどがつきました。楽しみにしていてください。
さて、この雑文を書くという作業は、楽しい時と苦しい時とがあります。書くことが見つからない時は、今回のように苦しみながら行を埋めなければなりません。いざ、パソコンの前に座って、1週間を思い浮かべる。自分に与えられた神様の恵のどれを紹介するか。どんなことが、どんな言葉が心に残っているかを考えてみる。そこからどんな神様の御言葉に出会ったかを思い出すのです。
先週もいろいろなことに出会いました。牧師会で泊まった国民宿舎の箸袋に「何のために生きているかわかる宿」と書かれてあったこと。運動会での先生や子どもたちの一生懸命な姿。ちょっとかじり読んだ「閻魔大王ものがたり」の話。メサイアの練習をみていて思ったこと。キーホルダーの見本が出来上がったことなど。
しかし、問題はこれをどのようにまとめるかなのです。結局まとまらないので、今回はこのような文章になってしまいました。なにせこれ以上悩んだら朝がきてしまいますので。たくさん恵みをいただいていると、次から次と忘れていくものですね。