2018年12月6日木曜日

「いびつな力・十字架」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「いびつな力・十字架」
 
 この季節、牧師室からの眺めは最高です。とくに朝早く、牧師室の窓をあけてベランダへ出るひとときが、いまの最高の楽しみでもあります。とくに車が走ってない時間は特別に新緑がさえるときです。「ああ、今日も生かされている」と心から思います。
 
 昨日もこのベランダのひとときを過ごしていますと、ラジオから最近のヒット曲が流れてきました。なにげなく聞いていると、次のような歌詞に「あれっ」と気になりました。「いびつな 力で きみを守りたい ずっと」。スピッツというグループの「君をみつめていた」という歌らしいのです。「いびつな力で」とは何でしょうか。この歌の出だしはとても奇麗な歌詞です。「暖かい場所を探し求めていた、最後の離島で、君をみつめていた・・・」と。なにかのんびりした中で、出会いが起こり、そこから何かが始まっていくというものだろうと想像していました。それはそれでいいのですが、「いびつな力で」というのは理解に苦しみました。しかし、人間の愛は「いびつな力」ものかもしれません。
 
 ところが、十字架というのも本来は「いびつな力」かもしれないと言えます。本来はあってはならないことです。それをあえて、私たちの罪の赦しのために神様の力が働いたと考えられます。本来のものを変化させてまで、神様は私たちを愛されたのです。何のために「いびつ」かは問われるのです。