2018年11月8日木曜日

「一礼をする」

クレヨン牧師のミニエッセイ


「一礼をする」

 ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学)の特徴の一つは、いろいろな教会の信者が一緒に学んでいるということです。カトリックをはじめ、基督教団、バプテスト、セブンスデー、聖公会、インマヌエル、アッセンブリー、アライアンスと、私のクラスだけでもこれらの方々がおられました。ですから、いろいろな教会の考え方の違いにとても参考となりました。

 さて、これらの教会の人たちが、昼の礼拝には一同に集まります。ともに讃美歌を歌い、聖書を読み、祈るのです。しかし、その祈り方はまちまちでした。それでも、主にあってひとつという喜びを感じたものです。

 その中で私が印象深く学んだことは、礼拝堂への入り方でした。ルーテルの学生はそのままスーッと入っていきます。私もそうでした。しかし、ある学生は一礼をして、ある学生は一言祈って、ある学生は十字架をきって入っていくのです。その姿に「偶像礼拝だ」と批判する者もいました。私などは新鮮な驚きを感じたものです。

 その事を思い出しながら、数年前より礼拝堂への出入りに一礼することにしました。何事も習慣になると恐ろしいものですが、最近トイレに入るときも一礼している自分に気がつきました。おもわず苦笑いでしたが、これも神様の前に生きる姿勢の告白ではないかとあらためて感じました。確かトイレに一礼は禅にもあったような。