クレヨン牧師のミニエッセイ
「身勝手な存在」
正月から「イソップ物語」を読んでいます。人間の奥底にひそむ「心」を掘り出されるみたいで興味津々です。その中に次ぎのような話を見つけました。
「農夫の畑に、木が一本ありましたが、くだものがならず、やかましいスズメやセミの休み場になっていました。農夫はくだもののならない木だから切ってしまおうと思いました。そこでおのを持ってきて一度切りつけました。セミとスズメは、自分たちの休み場を切ってしまわないで、いままでどおりそこで歌をうたわせて下さいとたのみました。ところが農夫はそれにはかまわず、二度三度と切りつけました。ところが、その木はうつろになっていて、ミツバチのむれとハチミツが見つかりました。農夫はハチミツをなめて、おのを放りだして、その木を神木におまつりしてだいじにしました。人間というものは、生まれつき正しいことを大事にして敬うよりも、利益を求めるものです」。
私たちは「身勝手な存在」かもしれません。自分を考え、利益に従って変わる弱い存在かもしれません。しかし、それでも神様は導いてくださるのです。このような「身勝手な存在」でしかない私にも、主イエスが共にいてくださるのです。そして、十字架によって「ゆるし」て下さるのです。私という人間は、救われている「身勝手な存在」なのです