2018年11月29日木曜日

「愛されてみたい」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「愛されてみたい」
 
 教会掲示板に礼拝案内を貼ってみました。いまは教会の礼拝案内だけですが、ゆくゆくは人の心を捉えるようなものを作り上げて行きたいと思っています。いつでもアイデア募集中です。
 
 先日のことでした。今週のポスターをみながら、会話してる声がきこえてきました。「おい、愛されると悲しくなるか。おれはとても嬉しくなるけどなあ」。するともう一人が「わかってないなあ。あんたのは、遊ばれているだけ。おれは悲しくなるのがわかるな あ。うん、本当に愛されたら涙がでるもんよ」。「そうかね。それくらい愛されてみたいもんだ」・・・と。
 
 この会話を聞きながら、「それくらい愛されてみたい」という言葉に、現代の人間のもつ寂しさみたいなものを感じたのです。悲しくなるほど愛されてみたいというのは、愛を実感したいというのとはちょっと違うのではないでしょうか。そのような愛に(出会いたい)ということかもしれません。主イエスの愛は、実感するだけのものではなく、出会うものです。そこから何かが始まるのです。「愛されてよかった」だけでなく、その愛から押し出される一歩を踏み出す勇気を与えられるのです。
 
教会の掲示板には来週の説教題が掲げられています。その題は「神秘的結合」はてこれを見てどんな会話が交わされるのかなと思います。