2016年10月6日木曜日

阿久根ルター君の朝のみ言葉
 1コリント  3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

ちょっと前に事ですが、マクドナルドの注文カウンターに60秒の砂時計が置かれていました。どんなサービスでしょうか。これまで、平日半額とか、バリューセット、いろいろ選べるマックチョイスなどがありました。今回は注文したものが60秒以内に出せない場合はポテト無料クーポンをプレゼントするというサービスです。これは、お客さん自身が食べたいものを組み合わせるようになったため、何百通りの組み合わせができます。そのことで商品を出す時間が遅くなり、お客さんの回転率が下がり、売り上げが落ちてきているということのようです。面白い企画だなと思いました。お客さんにとっては「早い」という利点があります。もし遅い場合でも、ポテトで得したという喜びがある。お店にとっては、回転が速くなることで売り上げがあがる。一番大切なことは社員教育・サービス向上になるということです。待たせないサービス訓練です。驚いたのは、一つの企画がサービスする側と受ける側の両方に働くということでした。しかし、よく考えるとこれは共に働くと言う事ではないかなと思いました。

パウロは教会を、神様が奉仕者たちを用いて「耕作する畑」「建てる建物」といいます。ここに神様の同労者であるという表現が用いられています。これは神様と共に働く者という意味ではなく、神様のために、神様に用いられて、私たちが共に働く者という意味です。神様と同じことをしているという意味ではありません。

組織の中で心が落ち込んでいく原因は3つあるといいます。それがひどくなると鬱(うつ)になるそうです。その3つ思いは、1)誰からも好かれたい。2)完璧にしようと思う。3)自分の思い通りになる環境を求める。だそうです。この3つ目がなかなか難しいものです。自分の思い通りの環境に人を合わせることを求めるのです。自分があわせるのではなく、人を自分に合わせようとする。それは、人を無理やり作りかえることです。それができないことに苦しみ落ち込んでいくのです。自分の方がその環境に合わせて、その中で何が出来るかを考える方がよいのですが。

パウロは「わたしたちは神のために力を合わせて働く」と教えています。力を合わせて行くということは、自分一人ではできません。お互いが合わせていかねばならないのです。しかしその目的は一つです。「神のために」。この目的がはっきりしてから、「合わせる」ということの意味もはっきりするのです。