2016年10月24日月曜日

阿久根ルター君の朝のみ言葉

ヨハネ  11:9 昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。

10月は予定を入れ過ぎて大変な状況になっています。震災活動講演も3つあります。どれも大きな講演だけに準備する時間を探しています。ここにきて時間探しをするとは思いませんでした。しかし時間探しは計画的でなければなりません。時間はつくらないとできません。どんな時でも1日は24時間しかありませんので、その中でやりくりしています。

エルサレムの近くベタニアの村にマルタ、マリアそしてラザロが住んでいました。イエス様が愛された家族です。そのラザロが病気になり死んでしまいます。イエス様はラザロが死んだあとに彼らの家を訪問されました。イエス様は、ラザロが死にかけているのを知っていながら、その死を待っていたかのような行動をとっておられます。その後、イエス様はラザロを復活させます。ラザロの奇跡を通して御自分の「復活と命」について教えるためでした。その中で「時間」についても語られています。

朝晩が秋の季節に戻り、普段業務にやっと慣れてきました。朝6時に起床して活動を始めることは同じでも、被災地救援活動では内容がまったく違っていました。一番の違いは、時間の使い方です。被災地では時間があってないような状況(いつ何がおこるかわからない)でしたので、自分の時間管理ができませんでした。教会に戻り、再び1週間の時間管理を始めました。自分で作成したエクセル表で管理いています。目的は空いた時間を捜すこと、造り出すことです。空いた時間こそが自分の時間であり、そこに何をいれるかが大切です。造り出された空き時間こそ、自分を豊かにする時間だと思っています。
 
 イエス様は「昼間は十二時間あるではないか」といわれました。それをどのように用いて行くか。また夜も十二時間あります。この時間が与えられている私たちは賢くその時間を用いることを求められています。時間の使い方、休むこともその用い方の一つです。自分の成長のために時間管理ができればと願っています。