クレヨン牧師のミニエッセイ
「なにもいらない」
教会の裏の畑に、さつまいもとサクランボの木を植えました。1年ぶりに裏の畑が復活したことになります。あまりにもほったらかしにしていたので、畑に戻すのが大変でした。
さて、今回さつまいもを植えるにあたって、どんな肥料がいいのか考えてみました。鶏糞がいいのか、それとも化学肥料がいいか。ついに結論がでずに、園芸店の方にお聞きすることにしました。するとズバリ「何もやらない方がよい」との答えでした。なぜだろうかと思われるでしょうが、下手に肥料をやると葉だけが成長し、肝心な実が太らないのだそうです。荒れ地の方がよく育つと聞きますが、まさにその通りなのです。
人間も同じ様な気がします。神様から私たち一人一人に与えられている素質は、下手に肥料をやらなくても実をつけるのです。知識や名誉、お金や物質によらないでも、キリストの言葉だけで充分育つし、実をつけるのかもしれません。
主の復活を信じるのに、人間的な肥料はいらない。信じるという神様からいただく信仰だけでよいのです。