2019年11月12日火曜日

「自分の母も聖母」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「自分の母も聖母」
 
 今日は母の日です。自分の母に感謝するのは当然ですが、世界中の母、すでに天に召された母にも感謝したいと思います。主イエスの母マリアにも当然のことながら感謝をします。
 
 松山のビジネスホテルに泊まったときのことでした。そのホテルには最上階に展望浴場の温泉があり、それは素晴らしいながめなのです。ところがひとつだけ困ったことがあります。じつは、お風呂の正面にカトリック教会があり、その教会塔の先端にマリア像があるのです。つまり、主イエスの母マリアが両手を広げてこっちを見ていてくださるのです。なんとも恥ずかしいという気持ちにさせられます。
 
 マリア像といえば、いつでも八頭身の美人像です。しかも真っ白。だれでもがあこがれる体型と色なのだそうです。しかし、実際の母マリアはどうだったでしょうか。主イエスからは「わたしと何のかかわりがあるか」と言われたり、十字架の死のまえに胸を剣で差しつかれる母でした。きっと、その精神はたくましく、ひたすら主イエスに従うのみの女性だったと思います。ごつごつした手足と、しっかりとした体型だっかかも。それでいて繊細な母だったのかもしれません。そのようなマリアに私は心をひかれるのですが。
 
 こう書きながら、なあんだ自分の母のことを書いているんだなと思いました。きっと、誰にとっても自分の母が一番の母であり、女性であると思います。別に八頭身でなくても、色が白くなくてもいいのです。母は母であればそれでいいと思います。主イエスの母マリアも結局、母マリアだったそれだけなのです。感謝。