2018年10月9日火曜日

「本物か偽物か」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「本物か偽物か」
 
 我が家には、マカオの友達からプレゼントされた骨董品がいくつかあります。ただ乱雑に並べてあるだけですが、それなりの姿に歴史を感じてしまいます。
 
 さて、その骨董品の中に《壷》と《皿》があります。友人の話によれば、二千年前の壷と漢時代の皿だそうですが、本当でしょうか。骨董品はわかりませんので、そう言われてそうだと考えていたほうが幸せです。しかし、最近この二つをしみじみ眺めてみますと、「もしかすると本当にそうかもしれない」と思えるのです。もし本当だったら大変だなと思いつつ、たぶん偽物だということで自分を納得させています。本物だったら大変なことになりますから。
 
 壷を手にもちながら、人間も同じようなものかもしれないと思いました。宝が与えられているのに気が付かないからです。与えられている神様からの賜物としての宝が、本物か偽物かの判断ができないのです。偽物という宝はないでしょうから、宝を偽物にしているのは私たちのです。
 
 与えられた宝《信仰》は、いつでも本物です。その宝を無にしてはいないでしょうか。せっかく与えられた宝の価値を見いださないで、捨ててはいないでしょうか。私たちは神様から最高の宝《信仰》をいただいています。その大きな価値に気づきたいと思います。そして、与えられていることに感謝し、ますますそれを本当の宝へと育てていきたいものです。