「母の存在」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「母の存在」
もうすぐ師走という季節ですが、本当に「牧師走」といいたくなるほど走り回っています。教区の仕事だけでなく、全国伝道セミナー、全国中高生キャンプ、などの責任を引き受けていますと会議がかさなってしまいます。それぞれに有意義な時でもありますが、先週だけでも、熊本へ、東京へと師走でした。
さて、熊本へは仕事ということもありますが、実家へは帰る楽しみもあります。普通、実家へ帰るときは家族と一緒ですが、今回は会議のついでに寄りましたので一人でした。考えてみれば母と二人きりになることは久しぶりでした。もしかすると物心ついてから初めてかもしれません。多少のとまどいさえ感じました。
ところが、二人で食事して話していると自然と眠たくなったのです。母の存在と、その声を聞いていると安心しきってしまったようです。気が付けば2時間ほど眠っていました。起きたときの爽快感がいまでもわすれられません。心のそこから平安に満たされたのだと思います。
母マリアに抱かれた主イエスの気持ちは、どんなだったでしょうか。聖書には何も書かれてありません。しかし、きっと平安に満たされていたに違いありません。私たちは母の存在の大切さを知っています。そこに平安があることも知っています。