2018年10月2日火曜日

「足跡」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「足跡」
 
 毎週土曜日に礼拝堂の清掃をします。掃除機をかけるのですが、徳山教会の広さでは、約40分~50分かかります。楽しい時もありますし、つらい時もあります。しかし、私にとっては修道の時かもしれません。
 
 この礼拝堂の清掃も一人で9年もやってくると、いろいろな変化が分かります。というより、毎週のことなので微妙な変化にすぐ気がつくのです。それでも、いつのまにと感激することもあります。
 
 昨日のことでした。いつものように聖壇から始めますと、ある足跡に気がつきました。聖卓の後ろ、十字架の下にくっきりと足跡がついています。もちろん、いつも牧師が礼拝のときにそこに立つので跡が残っているのですが。自分の牧師としての働きの全てを凝縮されているように見えました。「ああ、ここに立っている。ここで御言葉を語っている。ここで、主イエスの祝福を受けている」ととても感激したのです。同じところに9年も立ち続けてきました。そしてその下には聖書が埋められています。牧師とは御言葉に立つ者のことだと改めて教えられました。
 
 ここには、これからどんな牧師が立つのだろうか。100年後にも同じところから神様の御言葉が語られていくことに感謝したいと思います。聖壇にある足跡は、きっと主イエスに支えられて残っていくのでしょう。