2020年3月26日木曜日

「音楽は祭の一つ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「音楽は祭の一つ」

 礼拝堂コンサートを通して、多くの出会いを与えられています。とくに音楽関係の方々との出会いは豊かなものいただいています。先週はその一つのグループの人たちとの交わりがありました。彼らは「空想民族音楽・SAYAN」の人たちでした。

 空想民族音楽って何か?アフリカの民族楽器をつかった音楽で、「内なる自然との交感を求める打楽器と声。世界の先住民への敬愛と共感をこめて招きよせる祭の空間」なのだそうです。わかったようなわからないような。ようするにアフリカの打楽器をつかった演奏家たちです。しかし、その演奏は人の心に響くのでした。太鼓がしゃべるのです。もともとアフリカの太鼓は村々への情報伝達の一つだったといいます。この演奏家たちは老人ホームや障害者施設をまわって、その人たちの心のそこに眠っている魂を癒すことを目的としているというのです。

 最近「癒しの音楽」と言われます。しかし、そのほとんどが一方的に聞くことが求められます。バッハの音楽を誰かが演奏してそれを聞くといったころです。しかし、彼らの主張は癒しはそれだけではいけない、一緒に音楽を楽しみ参加する空間が人を癒すと言うのです。老人ホームで演奏していても、その音色で人々はいっしょになって踊り出す。寝たきりの方でも手を動かし始めるというのです。

 音楽は祭の一つだといわれます。祭には踊りがあり、歌があり、太鼓があり、そして大人も子供もいっしょに楽しんでいる。それが別々になってしまったのが現代かもしれません。そんな話しをききながら、それはすべて礼拝にあるのだと思いました。祭りには神様が中心におられるからこそ、人々の魂は癒されるのでしょう。