「次世代の木」
毎年この季節に「みかん狩り」に行きます。教会員のある方のみかん山にご招待してくださるのです。毎年いくものですから娘たちはよく知っていて、みかん収穫のプロになりそうです。「みかん狩り」がとても楽しいのは、収穫の喜びのみを経験するからでしょう。ここにくるまでにどれだけの手入れが必要であったかは私たちにはわかりません。もしかするとそれを経験することによって、もっと大きな喜びが経験できるのかもしれません。
みかん畑を見渡しながら、ここのみかんがおいしいのは何故かなと考えていました。持ち主に聞いたところ、「ここは条件がそろっているんですよ。目の前には瀬戸内海、この畑の中心にはおいしいわき水がでている。影がない」と。そうやってみるとなるほどそうです。青い空と青い海とわき水によってこのみかんが育てられたことがわかりました。しかも、木の上の方にあるみかんのおいしいこと。よく太陽にあたったみかんほどおいしいのだそうです。とすれば、おいしいみかんの条件はすべて神様がただで与えてくださっているものばかりだと感動しました。
みかんの木をあっちこっちみながら、小さな木がところどころに植えてあることに気がつきました。この小さなみかんの木は何だろうと聞いてみました。すると「次世代を育てていけないと、このみかん畑はだめになっていく」と教えてくださいました。いまのりっぱな木だけでは未来にはだめになっていく。かならずその中で次世代を育てていく。このことが心に響いてきました。
教会もこの課題を与えられているのですね。私たちの中で次世代を育てていくことこそ、一番大切な教会の使命かもしれません。