2019年4月16日火曜日

「知っていてくださるお方」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「知っていてくださるお方」
 
 あるエッセイ集で次のような話をみつけました。よくあることなので共感してしまいました。
 
 「少女がバスの中で、途中から乗ってきたおばあさんに席をゆずろうとしました。腰を浮かせ、まさに声をかけようとした時、前の席の男性がすっと立ち上がり、先に席をゆずってしまったのです。気まずい思いで、少女は席に座っていました。しかし、バスを降りる時、おばあさんは席をゆずってくれた男性だけでなく、後ろの席の少女にも、『ありがとう』と頭をさげた。『席をゆずろうとしたことがわかっていたんだ』。おばあさんの一言に、少女は人を思いやる心を学んだ」
 
 席をゆずろうとして、なんとなくタイミングを失うことがあります。そんなときは、ちょっと眠ったふりをしてその場をやり過ごすときもあります。どちらも気まずいものです。ゆずらねばと思えば思うほど、それをできなかった自分に落ち込んでしまうのです。立っている方は、「なんて思いやりのない」と思っているかもしれないと考えると、いても立ってもいられないものです。
 
 そんなとき、このおばあさんのように声をかけられたらどんなに助かることでしょうか。このおばあさんの声は、神様の声と同じだと思います。「私は知っているよ」といつも語りかけてくださるのです。知っていてくださるお方を私たちは信じているのです。