2019年3月28日木曜日

「信仰をもつ綿埃」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「信仰をもつ綿埃」
 
 牧師の務めの一つとして、教会の礼拝堂は土曜日に掃除することにしています。皆さんからは「大変でしょう」という言葉をいただきますが、実はこれがないと説教ができないのです。ある哲学者はつねに歩きながら考えていたと言われています。掃除というのは一つの「黙想」だと思います。一週間あたためてきた御言葉の福音をまとめるには「掃除」はもってこいなのです。
 
 さて、広島教会の会堂清掃には、ある特徴があります。それは「綿埃」が非常に多いということです。一通りダスキンで拭き終わると、山になるくらいの綿埃がくっついてきます。また、週日でも廊下にはどこからともなく綿埃がでてきます。それだけ、人がここに集まってきて下さるということでしょう。それは落ちている髪の毛の料でもわかるのですが。
 
 綿埃といえばある引退された牧師の言葉を思い出します。それは、ある時代の神学校の卒業式での説教で学長が次のように説教されたとか。「君たち若い牧師たちは、この社会からすれば綿埃のような存在かもしれない。なにも役に立たないような存在です。しかし、綿埃も集まって火を灯せば、人を暖める事はできるのです」と。
 
 信仰生活にかかわることは、すべて捉え方ひとつだと思います。会堂の掃除をすることも、ここに神様によって集められた人々がおられることを確認できる感謝のときなのです。