2019年3月21日木曜日

「みんなの善意」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「みんなの善意」
 
 FMであるとき次のような話を聞きました。ある主婦のバスでの体験でした。その主婦は毎日同じ時間に同じ場所からバスに乗ります。当然毎日同じ人と出合うことになります。彼女にとって一番印象の強い人は、4番目のバス停で乗って来る、盲導犬を連れた女の子でした。彼女と盲導犬は乗車すると、決まって扉のすぐそばの席に座ることが習慣でした。ですからいつも乗る人々は決してそこの席には座りませんでした。
 
  ある時、身体障害の女性が乗って来ました。彼女は乗ってすぐのあの女の子の席に手をかけました。それを見ていた主婦は、「そこには盲人の女の子が座るから空いてる席にかけて」と心では思いましたが言えませんでした。しかし、その女性は手をかけただけで、座りませんでした。きっとその席をことを知っていたのでしょう。
 
  次ぎに中年の男性が乗ってきました。その男性はすんなりその席に腰掛けたのでした。主婦の心のなかは複雑でした。その席にはあと二つ目のバス停で盲人の女の子が乗って来る。その男性に言うべきか言わないでおくべきか迷いました。せっかくみんなの優しさで空席になっている席だと信じていたからです。一つのバス停がすぎ、次ぎのバス停が近づいてきました。どうしよう、どうしようと迷っていたときでした。次ぎのバス停の少し前にきたときその男性はすっと立って違う席へ移動したのでした。きっとその男性も知っていたのでしょう。
 
  そのバス停ではいつもどおり、盲導犬をつれた女の子が乗って来ました。そして手で座席に触れ、誰も座ってないことを確認してゆっくり腰掛けたのでした。誰もなにも言わないけれど、みんなの善意がこの席を暖めていたという話です。神様が与えて下さった人間の心は、本来暖かいものだと思います。