「比治山の紅葉」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「比治山の紅葉」
牧師執務室から比治山をながめると、すでに紅葉がすばらしいことに気がつきました。パソコンばっかりながめている私には、とても新鮮に感じてしばらくボケーっと心洗われる時を持てました。
そのような時、長女が学校から喜んで帰ってきました。「今日、わたしの作文がみんなの前で読まれたんよ」と。あまりにも嬉しそうなので、その作文とやらをのぞいてみました。するとこうです。
「題:勉強 今日、尾前先生(教育実習生)がじゅぎょうをやりました。国語をやりました。わたしは尾前先生がちゃんと勉強できるか心配でした。でもできてうれしかったです」
子供は子供なりに励まそうとしているのだと思います。その思いが伝わっていくときに、なにか神様からいただいている愛を確認できるように感じます。
教会の行政にかかわっていると、溜息がでるような問題にぶつかることがあります。「どうしてなんだろう」と考え込むこともあります。神様の御心はいったい何かと迷うときもあります。しかし、そのようなときは、自分しか見ていない時のようです。比治山の紅葉をみながら、何か神様が語りかけて下さっている「励まし」を感じています。秋もまたいいものですねえ。